八幡東区(読み)ヤハタヒガシク

日本歴史地名大系 「八幡東区」の解説

八幡東区
やはたひがしく

面積:三六・三六平方キロ

現北九州市域のほぼ中央に位置する。北は洞海(どうかい)湾に面し、北東は戸畑(とばた)区、東は小倉北区、南東は小倉南区、西は八幡西区に接し、洞海湾の対岸は若松(わかまつ)区。区域南部は皿倉(さらくら)山や権現(ごんげん)山などが連なる山間地で、板櫃(いたびつ)川の水源地帯となっている。江戸時代には筑前国遠賀(おんが)郡に属する前田(まえだ)・尾倉(おぐら)・枝光(えだみつ)・大蔵(おおくら)の四ヵ村、および豊前国企救(きく)郡に属する田代(たしろ)(一部は現小倉南区)・高槻(たかつき)・荒生田(あろうだ)の三ヵ村と同郡小熊野(こぐまの)村の一部で構成され(「続風土記拾遺」・天保郷帳など)、遠賀郡四ヵ村は福岡藩領、企救郡三ヵ村は小倉藩(慶応三年からは香春藩)領であった。明治二二年(一八八九)の町村制施行によって、遠賀郡域では尾倉・枝光・大蔵の三ヵ村が合併して八幡村が成立。前田村は藤田(ふじた)村(現八幡西区)などと合併して黒崎(くろさき)村となった。企救郡域では田代村が合馬(おうま)村(現小倉南区)などと合併して西谷(にしたに)村、槻田(つきだ)村(明治二〇年に高槻・荒生田が合併して成立)は藍島(あいじま)村(現小倉北区)などと合併して板櫃村、小熊野村は篠崎(しのざき)村(現小倉北区)などと合併して西紫(にしむらさき)村となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八幡東区」の意味・わかりやすい解説

八幡東〔区〕
やはたひがし

福岡県北東部,北九州市の南西部にある区。1917年市制(八幡市)。1963年小倉市,戸畑市,門司市,八幡市,若松市の 5市合体で誕生した北九州市八幡区が,1974年八幡東区,八幡西区に分割。1901年枝光(えだみつ)に官営八幡製鉄所が開設されてから工業都市として発展。洞海湾岸に製鉄所のほか,ガラス,金属などの大工場が立地し,北九州工業地域の中核を形成。背後の丘陵地は住宅地。南部の皿倉山を中心とする帆柱自然公園と南部の河内貯水池は北九州国定公園に属する。面積 36.26km2。人口 6万4792(2020)。

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世界大百科事典(旧版)内の八幡東区の言及

【八幡】より

…福岡県北九州市西部の地区名。1917年市制施行の八幡市が,63年門司など4市と合体して北九州市となったため,八幡区として区制を施行し,74年八幡東区,八幡西区に分かれた。人口は東区8万5405,西区25万6176(1995)。…

※「八幡東区」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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