日本大百科全書(ニッポニカ) 「アビス朝」の意味・わかりやすい解説
アビス朝
あびすちょう
1383~1580年の間のポルトガルの王朝。ポルトガル大航海時代の開幕、最盛、衰退期にあたる。フェルナンド王Fernando(1345―1383、在位1367~1383)の没後、王位継承権問題を収拾したのはアビスAvis修道会長だったジョアン1世で、彼の国王推戴(すいたい)がアビス朝の誕生である。彼の治世に海外進出が開始され、北アフリカのセウタが攻略された(1415)。長子ドゥアルテDuarte(1391―1438、在位1433~1438)が王位を継ぎ、その後、都市商人層の支持を得て西アフリカ進出を積極的に進め、「アフリカ王」の異名をとったアフォンソ5世(1432―1481、在位1438~1481)、ジョアン2世、マヌエル1世、ジョアン3世らの治世下のアビス朝は、黄金海岸に商館を建て、金取引を本格化し、ここを拠点にアフリカ南下政策を図り、インド到達計画の先鞭(せんべん)をつけた。その時期は1487年バルトロメウ・ディアスが喜望峰(暴風岬)を迂回(うかい)し、1492年コロンブスが新大陸を発見し、1494年トルデシリャス条約がカスティーリャと締結されるなど、大航海時代の最盛期であり、絶対君主制が確立された時期でもある。ジョアン3世はブラジルの植民活動の基礎を築いた。またポルトガル・ルネサンス文化を開花させた文芸のパトロン(保護者)であり、その宮廷に仕えた詩人ルイス・デ・カモンイス(1524ころ―1580)は古典作品を踏襲して、大航海時代のポルトガル人の足跡を集大成した叙事詩『ウス・ルジーアダス』(1572)を上梓(じょうし)し、近代ポルトガル語の礎(いしずえ)を構築した。インド西海岸とリスボンを結ぶ香辛料・中米銀などを交換する物流貿易は植民地交易の典型例であり、教皇庁は布教保護権(パドロアドPadroado)をポルトガル王に認め、貿易と一体化させて、遠隔地極東アジア布教区(中国・日本など)の支配権を行使させた。だが、莫大(ばくだい)な植民地経営で苦しみ、経済的危機に陥り、早くも国力衰退の影が忍び寄る。続いてジョアン3世の孫セバスティアンSebastião(1554―1578、在位1557~1578)が即位し、モーロ(モロ)人征伐のためアフリカへ出兵した。しかしアルカセル・キビルAlcácer Quibirであえなく惨敗、戦死する。その後マヌエル1世の子、枢機卿(すうきけい)エンリケHenrique(1512―1580、在位1578~1580)が即位したが、死後カスティーリャのフェリペ王朝に連合され、アビス朝は滅亡した。
[林田雅至]