日本歴史地名大系 「莚打村」の解説 莚打村むしろうちむら 茨城県:岩井市莚打村[現在地名]岩井市莚打浅間(あさま)沼の西に所在。南・西は利根川とその流作場、北西は小山(おやま)村。戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「むしろうち 拾貫文 ミねんく 四貫文 夫銭 廿五表(ママ) 斗物」とあり、永禄一一年(一五六八)に足利義氏が豊前孫四郎の勲功に対し、莚内(むしろうち)郷を恩賞として与えた足利義氏充行状(豊前氏古文書抄)に<資料は省略されています>とあり、天正二年(一五七四)の古河公方足利義氏料所目録(喜連川文書)には「むしろうち 豊前左衛門尉」とある。 莚打村むしろうちむら 千葉県:野田市莚打村[現在地名]野田市莚打、茨城県岩井市莚打船形(ふなかた)村の東、利根川流域に位置する。猿島(さしま)郡に属し、旗本一色領のあと関宿藩領になったとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by