菅之芳(読み)スガ ユキヨシ

20世紀日本人名事典 「菅之芳」の解説

菅 之芳
スガ ユキヨシ

明治・大正期の医学者



生年
嘉永7年8月16日(1854年)

没年
大正3(1914)年12月23日

出生地
江戸・日本橋西河岸

旧姓(旧名)
須永

学歴〔年〕
東京大学医学部〔明治13年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治36年〕

経歴
花房藩医官・菅之教の養子となる。明治4年東京一大学区医学校に入りミュルレル、ホフマンなどに師事する。13年大学を卒業し直ちに岡山医学校校長兼教授に就き、岡山病院副長を兼任する。22年岡山医学校が第三高等中学校医学部となると学部長に就任し、岡山県立病院院長を兼務。23年日本赤十字社支部副長。28年内科学研究のためドイツに留学し、30年帰国。34年岡山医学専門学校(岡山大学医学部の前身)の設立に伴い校長兼教授となる。この間、30余年にわたり多くの人材育成に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅之芳」の解説

菅之芳 すが-ゆきよし

1854-1914 明治-大正時代の内科学者。
嘉永(かえい)7年8月16日生まれ。明治13年東京大学を卒業して岡山県医学校長となり,その後身の第三高等中学医学部長,岡山医専(現岡山大医学部)校長などを歴任。大正3年12月23日死去。61歳。江戸出身。本姓は須永。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android