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菊池教中 きくち きょうちゅう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

菊池教中 きくち-きょうちゅう

1828-1862 幕末の豪商,尊攘(そんじょう)運動家。
文政11年8月17日生まれ。菊池淡雅・民子の子。江戸の木綿問屋佐野屋孝兵衛の2代目。姉婿大橋訥庵(とつあん)の影響で攘夷(じょうい)論を信奉,外国との戦争にそなえて下野(しもつけ)宇都宮領内に新田を開発。安藤信正襲撃(坂下門外の変)の計画にくわわって捕らえられ,出獄まもない文久2年8月8日病死した。35歳。号は澹如(たんじょ)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

菊池教中

没年:文久2.8.8(1862.9.1)
生年:文政11.8.17(1828.9.25)
幕末の豪商,志士。父は淡雅,母は民子。江戸に出店して巨富をなした父の跡を継いで佐野屋孝兵衛2代目を名乗り,澹如と号した。開国に伴う経営不振と姉婿大橋訥庵の思想的影響により,熱烈な攘夷論者となる。列強との戦争に備えて宇都宮に拠点を移し,岡本・桑島両新田を開発,その功で宇都宮藩士分に列す。自らを同地の領主ともみなし,輪王寺宮を日光に擁立挙兵する運動を画策するが,失敗。次善の策として宇都宮,下野,水戸の草莽の志士による老中安藤信正暗殺計画を援助した。文久2(1862)年1月,捕らわれ投獄。出獄後,病死した。<参考文献>秋本典夫『北関東下野における封建権力と民衆』

(高木俊輔)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

菊池教中
きくちきょうちゅう
(1828―1862)

宇都宮出身の江戸豪商佐野屋、幕末の勤王家。通称孝兵衛、字(あざな)は介石、介之介、澹如(たんじょ)と号す。「佐孝(さこう)」の2代目当主として際会したペリー来航(1853)後の商況不振と、また義兄で狂熱的攘夷(じょうい)論者大橋訥庵(おおはしとつあん)の影響によって、攘夷論者となって活躍した。彼は攘夷論者として外敵との戦争は必至であると考え、資本を保有するため、江戸から資本を引き揚げようとし、宇都宮領内に桑島(くわじま)、東岡本の両新田を開発した。そして、この2新田を基盤として、輪王寺宮(りんのうじのみや)を首領と仰ぎ日光山に挙兵をもくろんだが、実現することができなかった。そこで個人的テロ行動をとり倒姦(とうかん)の黒幕となった。坂下門外の変がこれである。そのため捕らえられ入牢(にゅうろう)となった。出牢したがまもなく死去した。[秋本典夫]

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367日誕生日大事典の解説

菊池教中 (きくちきょうちゅう)

生年月日:1828年8月17日
江戸時代末期の豪商;志士
1862年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

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