日本歴史地名大系 「菜ノ川郷」の解説 菜ノ川郷なのかわごう 高知県:吾川郡吾川村菜ノ川郷明神(みようじん)山の東南に位置する菜ノ川・僧津(そうづ)・相能(あいのう)・引地(ひきち)・北川(きたがわ)・下菜(しもな)ノ川(かわ)・奥菜(おくな)ノ川(かわ)・森山(もりやま)・鷲(わし)ノ巣(す)・橘(たちばな)の一〇ヵ村を近世、菜ノ川郷とよんだ。一括して菜ノ川村と称されることもあり、「土佐州郡志」は「名野川村」として、「東限大崎村池川之流、西限予州松山領、南限佐川領大川、北限池川村小越、東西四里二十町許南北四十二町余、戸凡四百、以地逼異境置関于九所、監人之出入」と記す。年号を欠くが、享禄三年(一五三〇)頃と推定される高岡郡蓮池(はすいけ)城(現土佐市)城主大平元国の大野右衛門太夫等宛書状(蠧簡集竹頭)に「池川名ノ川両名」とみえ、長宗我部検地は、天正一八年(一五九〇)の「太川五名之内菜川地検帳」に記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報