吾川村(読み)あがわむら

日本歴史地名大系 「吾川村」の解説

吾川村
あがわむら

[現在地名]伊予市上吾川かみあがわ下吾川しもあがわ

和名抄」に伊予郡吾川郷と記載され、「和加波」(流布本)または「阿加波」(高山寺本)と訓じている。村内の一の坪いちのつぼ十合とこ四反地したんじ五反地ごたんじ六反地ろくたんじ七反地しちたんじ八反地はつたんじ九反地くたんじ丁田ちようだ一丁地いつちようじ二丁地にちようじなどの地名はいずれも条里制の名残である。

ここには鎌倉期の初め平家方の高市俊儀・秀儀がおり、源頼朝挙兵に応じた河野通信の攻撃するところとなった。「河野家譜」築山本に、通信は「元暦二年正月十六日平家追討ノ手当ニ高(市)源太秀則待請テ合戦シ、同図書允俊則と鴛小山ノ戦迄皆以得勝利」とある。

吾川村
あがわむら

面積:八三・五二平方キロ

吾川郡北西部山間に位置する。西は愛媛県、北は池川いけがわ町、東は高岡郡越知おち町、南は同郡仁淀によど村。南部を東に曲流する仁淀川が、名野川なのかわ中津なかつ川を、大崎おおさき池川川を合せる。西の明神みようじん(中津山とも、一五四一メートル)、東の黒森くろもり(一〇一七メートル)をはじめ、村域の大部分が山地で、山林が総面積の約九割、耕地は約一割。標高六五〇―一〇〇〇メートル付近はほとんどが杉・檜の植林で、標高二〇〇―六五〇メートル付近に耕地の大部分が集中し、しかも一〇―三〇度の急傾斜の段々畑である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報