華園真淳(読み)ハナゾノ シンジュン

20世紀日本人名事典 「華園真淳」の解説

華園 真淳
ハナゾノ シンジュン

明治〜昭和期の僧侶 浄土真宗興正寺派門主。



生年
明治17(1884)年8月3日

没年
昭和50(1975)年1月22日

出生地
京都

別名
幼名=称応,号=本昭上人

学歴〔年〕
京都帝大文科大学史学科〔明治45年〕卒

経歴
明治37年妙法院門跡で得度。大正元年父本常の死後、興正寺派門主となり興正寺住職を継ぎ、男爵を襲う。9年前田侯爵とヨーロッパ外遊、10年帰国。13年従三位。焼失した本山両堂の再建大阪鹿児島、高松各別院の復興、興正会館建立などに尽力、在職60年に及んだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「華園真淳」の解説

華園真淳 はなぞの-しんじゅん

1884-1975 明治-昭和時代の僧。
明治17年8月3日生まれ。浄土真宗興正(こうしょう)派。京都の興正寺29世。焼失した本山の阿弥陀(あみだ)堂,大師堂を再建し,興正会館を建設する。また大阪・鹿児島・高松別院の復興につくした。昭和50年1月22日死去。90歳。京都出身。京都帝大卒。号は本昭。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む