萩原英一(読み)ハギワラ エイイチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「萩原英一」の解説

萩原 英一
ハギワラ エイイチ


職業
ピアニスト

生年月日
明治20年 11月30日

出生地
東京・京橋

学歴
東京音楽学校〔明治43年〕卒,ベルリン王立音楽院卒

経歴
明治44年留学ピアノトロンボーンを学び、山田耕作と親交。大正3年帰国、母校ピアノ科講師となり、5年教授、のちピアノ科主任教授。東京音楽学校吹奏楽団設立に尽くした。戦後東京芸大嘱託。編著に「バイエル・ピアノ教則本」がある。

没年月日
昭和29年 6月21日 (1954年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「萩原英一」の解説

萩原 英一
ハギワラ エイイチ

大正・昭和期のピアニスト



生年
明治20(1887)年11月30日

没年
昭和29(1954)年6月21日

出生地
東京・京橋

学歴〔年〕
東京音楽学校〔明治43年〕卒,ベルリン王立音楽院卒

経歴
明治44年留学、ピアノ、トロンボーンを学び、山田耕作と親交。大正3年帰国、母校ピアノ科講師となり、5年教授、のちピアノ科主任教授。東京音楽学校吹奏楽団設立に尽くした。戦後東京芸大嘱託。編著に「バイエル・ピアノ教則本」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「萩原英一」の解説

萩原英一 はぎわら-えいいち

1887-1954 大正-昭和時代のピアニスト。
明治20年11月30日生まれ。幸田延(のぶ)らに師事し,明治44年ドイツに留学。大正3年帰国し,5年母校東京音楽学校(現東京芸大)の教授となる。同校吹奏楽団の設立にもつくした。昭和29年6月21日死去。66歳。東京出身。編著に「バイエル・ピアノ教則本」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android