デジタル大辞泉
「京橋」の意味・読み・例文・類語
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きょう‐ばしキャウ‥【京橋】
- [ 一 ] 東京都中央区、京橋川にかかっていた橋。京橋三丁目と銀座一丁目を結ぶ。江戸時代、日本橋を起点として京へ上る東海道五十三次の最初の橋であったため、呼ばれた。橋の両岸に青物市場があった。京橋川の埋立てによって陸橋となった。千両橋。
- [ 二 ] 京都市伏見区、宇治川の支流にかかる橋。橋の下は京へ通う高瀬舟などの船着場として知られた。
- [ 三 ] 大阪市の中央区と都島区の境を流れる寝屋川にかかる橋。大坂城の西北口にあたり、橋本(京都府八幡市)、淀(京都市伏見区)を経て京都に至る京街道の起点となった。
- [ 四 ] 東京都中央区、銀座の北側で、八重洲、日本橋、八丁堀に隣接する地名。東京の都心部を形成する。
- [ 五 ] 旧東京市三五区の一区。京橋、宝町、銀座、築地、月島、石川島などが含まれていた。昭和二二年(一九四七)日本橋区と合併し、中央区となる。
- [ 六 ] 大阪市都島区南東端にあるJR、京阪などの京橋駅を中心とした付近一帯の称。
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京橋
きようばし
寝屋川に架かり、東区京橋前之町と都島区片町一丁目にまたがる橋。江戸時代には公儀橋(俗称天下橋)で、南詰は大坂城北側の京橋口に通じ、北は相生西町(現都島区)。京街道の起点とされ、東は京橋北側の野田町(現同上)東端から、西は江戸堀五丁目(現西区)西端までの東西四〇町余を京橋筋と称した(手鑑)。安永三年(一七七四)までは猫間川・平野川・寝屋川などの合流は京橋下手で鯰江川を合せ、淀川と合流した(→天満橋)。当橋は大坂の東の玄関口であり、水陸交通の要衝であった。架橋の時期は不明だが、「大坂御陣覚書」ほか大坂の陣に関する史料に散見し、大坂冬の陣図屏風(東京国立博物館蔵)などにも描かれる。橋の長さは四九間半(難波鶴)。
京橋
きようばし
京橋川に架かっていた東海道の橋、京橋を中心とする地域。京橋は北にある日本橋の架けられた慶長八年(一六〇三)とほぼ同時期の架橋とされる。慶長八年幕府は諸国の大名より人夫を徴発して江戸の市街を整備し、運河を開削した。この役夫は知行高一千石につき一人を出すことが課せられたため千石夫とよばれ、またこの時から市街の名は役夫の国名を冠して付けられたとされる(徳川実紀)。
京橋
きようばし
近世に旭川に架けられた三橋の西寄りの橋。橋本町と西中島町を結んだ。「吉備温故秘録」によると、宇喜多秀家が文禄二年(一五九三)那須半入なる者に京橋を中島へ架替えることを許し、中島に屋敷地を給した。もとは古京町と片上町間の橋を京橋と称していたが、秀家の時代に川筋が付替えられたためという。この時代に中島開発が始まり、現在地付近に架橋されたと考えられる。長さ六八間二尺余・幅四間、柱六九本。延宝元年(一六七三)洪水で流されての架直しのほか、繰返し修繕・架替えがなされた。天明四年(一七八四)の架替えは一ヵ月余の日数で銀高約二七〇貫目を要している(撮要録)。
京橋
きようばし
京橋川に架されていた橋。東海道の橋で北詰は南伝馬町三丁目、南詰は新両替町(銀座)一丁目。日本橋が創架された慶長八年(一六〇三)とほぼ同時期の創架とされ、寛永江戸図に描かれ、京橋の名が記される。日本橋から八町の所にあり、橋の長さは一二間(武江図説)。「御府内備考」によれば欄干の擬宝珠銘に正徳元年(一七一一)六月吉日の紀年と鋳物師田中丹波守重正の名が刻される。明暦の大火で焼失後架け替えられ、明和元年(一七六四)の朝鮮通信使来朝の際も架け替えを実施、その後寛政六年(一七九四)にも架け替えられた(「撰要類集」など)。
京橋
きようばし
京橋川に架かる橋で、「知新集」に「毛利殿在城の時ハしはしは京都への往来あり、よりて外廓に京口門あり、其道筋にある橋を京橋とよ」んだとされ、当初は城下東は京橋川までで、その東端に位置し、沼田郡と安芸郡境とされたことから「東ノ橋」とも称された。同書に長さ三五間七歩・幅二間五尺四寸、欄干付とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京橋 (きょうばし)
東京都中央区西部の地名で,その名は江戸時代に京橋川(人工河川。現在は埋め立てられて消滅)に架けられた京橋にちなむ。1878年京橋地区に銀座,八丁堀,築地一帯を合わせて京橋区(東京府)が設けられ,1931年京橋地区の町々を統合して京橋1~3丁目(東京市)が成立したが,47年京橋区と日本橋区が合併して現在の中央区となった。橋としての京橋はいわゆる銀座八丁の北の終点に位置し,この橋から北の日本橋へ向かう中央通りの両側が行政地名としての京橋で,地下鉄銀座線の京橋駅もここにある。しかし首都高速道路の京橋ランプはさらに東側にあり,一般に地区名として使われる京橋は行政地名の京橋よりやや広い範囲を指す。地区名としての京橋には東京駅八重洲口に近いこともあって,会社や銀行が多い。中央通りには商店も少なくないが,銀座や日本橋ほどのにぎわいはない。
執筆者:正井 泰夫
江戸時代の京橋
1603年(慶長8)江戸幕府の開設による下町の造成にともない,日本橋が架設され東海道の起点となったが,街道筋の京橋や新橋も同時期に作られたと考えられる。京橋は江戸城の堀から東,八丁堀へ通ずる京橋川に架され,橋長は12間(約21.6m)であった。橋名の由来は付近の日本橋,江戸橋との関連で“京”橋としたとの説などがあるが明確ではない。欄干には擬宝珠(ぎぼし)が付けられ,日本橋,新橋とともに官費で維持される格式のある橋であった。橋の北側一帯が広域地名の京橋である。東海道に面した南伝馬町1~3丁目は幕府の公用運送を担当する伝馬役に関係する町人が居住していた。さらに大鋸(おが)町,南大工町,南鍛冶町,畳町などは,北部の神田地域の職人町に対する,新しい職人町地域でもあった。また橋の東側には竹河岸があり,西側には青物市場として著名な大根河岸があって,運河を利用した物資集散の場でもあった。明暦の大火(1657)後の市街地の発展にともない,東海道筋には商人が進出したが,日本橋地域の問屋商人の営業に対し,京橋地域は親方職人の店舗営業が多かった。桶屋,畳屋,指物屋,具足屋,小間物屋などである。町裏には奉公人や弟子をもつ商人や職人が居住していた。18世紀の後半には屋敷地の奥に長屋が建設され,小商人,小職人,人足などの住民が増加していく。他方,紙,煙草,薬など各種の問屋商人の進出もみられた。
執筆者:吉原 健一郎
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京橋(東京都)
きょうばし
東京都中央区の中部にある地区。東京駅の八重洲(やえす)口の東方にある。京橋川に架かる橋が、日本橋から東海道五十三次を京に上る最初の橋であったことからこの名がつけられた。もと京橋区の大部分をなしていたが、1947年(昭和22)中央区となったため、町名となった。かつては日比谷(ひびや)入り江とよぶ浅い海であったが、江戸初期に埋め立てられ、商業地として繁栄、京橋川岸に青物市場があった。また江戸歌舞伎(かぶき)発祥の地(猿若座(さるわかざ))でもあり、その碑がある。京橋は1959年高速道路建設のため撤去され、川は埋め立てられた。京橋地区は大手会社のビルが多く、東京地下鉄銀座線(京橋駅)、都営地下鉄浅草線(宝町(たからちょう)駅)が通る。
[沢田 清]
京橋(大阪市)
きょうばし
大阪市の中央部を流れる寝屋川(ねやがわ)に架かる橋と、寝屋川南岸の中央区の地区名。橋は天神橋、天満(てんま)橋の上手に架かり、都島(みやこじま)区と中央区を結ぶ。京橋の地名は橋名に由来し、上町(うえまち)台地の北端、天満橋南詰から上手の大川(淀川)沿いの地域をさす。京街道の起点として、また熊野街道の交通要地として知られた。現在、JR大阪環状線・東西線・片町線、京阪電気鉄道本線、地下鉄長堀鶴見(つるみ)緑地線の京橋駅はやや東方に位置するが、ターミナル地点として発展している。また、京橋駅の南、寝屋川と第二寝屋川に挟まれた地域に大阪ビジネスパーク(OBP)があり、高層ビルが建ち並ぶビジネス街となっている。
[樋口節夫]
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京橋
きょうばし
大阪市中央区北東端,都島区南東端,城東区西端の京橋駅を中心とする地区。地名は寝屋川にかかる橋の名に由来。近世,大阪城の北口にあたり,京街道の起点として交通の中心であった。今日でも JR大阪環状線,JR東西線・学研都市線,京阪電気鉄道本線,大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線が会合する京橋駅は大阪市東北部の玄関口をなし,付近は繁華街として発展している。
京橋
きょうばし
東京都中央区西部の地区。旧区名。日本橋と銀座の間にあり,ビジネス街を形成。江戸時代,東海道を京へ上る最初の橋として設置された京橋が地名の起りであるが,橋は現在高速道路の敷地となり,消失した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
京橋〔岡山県〕
岡山県岡山市にある桁橋。1917年竣工。旭川に架かる。もとは「大橋」という名前だったが、江戸時代、京や大阪の品物を扱う商店が周辺に栄え、その地域が「京町」と名づけられたことから現名称となった。2000年、土木学会により土木遺産に認定。
京橋〔広島県〕
広島県広島市にある桁橋。1927年竣工。京橋川に架かる。現存する被爆橋梁の中で、最も爆心地に近い橋。2011年、「被爆に耐えた装飾的橋梁」のひとつとして土木学会により土木遺産に認定。
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京橋
(岡山県岡山市北区;岡山県岡山市中区)
「選奨土木遺産」指定の地域遺産。
1917(大正6)年竣工。唯一鋼管柱橋脚を有し、最古級の大型鋼I桁橋
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
世界大百科事典(旧版)内の京橋の言及
【江戸】より
…1603年(慶長8)に徳川家康が征夷大将軍となり,江戸は日本の総城下町として位置づけられるようになって,本格的な町づくりがはじまった。[江戸城]の拡充,武家地の造成とともに,日本橋,京橋,神田といった市街地が整然とした区画で整備されていった。これらの町は,寛永年間(1624‐44)までに約300町に達し,のちに古町とか草創地と呼ばれるようになった。…
※「京橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」