翻訳|piano
18世紀末から現代に至るまで最もポピュラーな鍵盤楽器。鍵盤で弾く点ではオルガンやハープシコードなどと同じだが,オルガンがパイプに空気を送って発音する気鳴楽器であるのに対して,ピアノは弦の振動で発音する弦鳴楽器である。またハープシコードが爪状のプレクトラムで弦をかき鳴らす撥弦楽器であるのに対して,ピアノはハンマーで弦を打つ打弦楽器である。ハープシコードと区別するために,18世紀後半から19世紀初頭のドイツでは,ピアノをとくにハンマークラビーアHammerklavierとも呼んだ。ハープシコードではストップの操作によって音量が階段状に変化した(テラス状強弱法)のに対して,ピアノは打鍵の強さによって音量を急激にも漸次的にも自由に変えることができる。1709年にフィレンツェの楽器製作者クリストフォリBartolomeo Cristofori(1655-1731)が最初のピアノを試作したとき,彼はその楽器を〈強弱のつけられるハープシコードgravicembalo col piano e forte〉と名づけた。ここからピアノフォルテpianoforteまたはフォルテピアノfortepianoという名が起こり,さらにピアノと略称されて今日に至った。このようにピアノは,打鍵によって強弱を自由に変化できるという点に大きな特色がある。しかも強弱の幅は,オルガンを除けば,楽器の中で最も大きい。18世紀後半からピアノがしだいにハープシコードとクラビコードを駆逐して鍵盤楽器の王座を占めた背景には,音楽の表現が自由な強弱変化を重視するようになったこと,そしてまた,音楽の場が限られた共同体の枠内から出て幅広い大衆へ,したがって大きな音量を要求する大会場へ移行したという事実が存在していた。現代のピアノは19世紀後半にほぼ完成されたが,これは音量が豊かなだけでなく,オルガンを除けば楽器の中で最も幅広い音域をもち(図1),打鍵の方法やペダルの使用によって,豊かな音色の変化も生み出すことができる。鍵盤上には88個(標準)の白鍵と黒鍵が左から右へ半音階的に上行するように配列され,それらの音は一般に12平均律によって調律されている。1個の鍵には一つの音が対応し,音高が固定しているので,ソルフェージュや歌唱などの音楽教育にとっても最も基本的な役割を果たす。またピアノは単旋律,複旋律,和声を奏しうるから,旋律楽器と和声楽器の両機能を兼ね備え,独奏,合奏,伴奏のいずれにも高い能力を示し,演奏会用の楽器としても,また家庭や教育の場においても,西洋音楽の中で最も有用かつ基本的な楽器ということができる。
今日のピアノには,弦を水平に張ったグランド・ピアノ(平型ピアノ,図2,3)と,垂直方向に張ったアップライト・ピアノ(縦型ピアノ,図4,5)とがある。後者は音色,音量,発音機構ともに前者より劣る略式簡易型で,おもに家庭用や練習用に用いられている。古くは長方形テーブル型のスクエア・ピアノもあったが,19世紀後半にはほとんど姿を消した。弦は専用の特殊鋼鉄製で,1音(1鍵)に対して低音部では1本または2本,中・高音部では3本が,ヒッチ・ピンと調律ピンの間に強い張力で張られている。ハンマーの打弦による弦の振動は駒を介して薄い木製の響板に伝えられて発音する。演奏者が指で鍵を押し下げると,エスケープメント(離脱装置)と呼ばれる複雑な機構によってハンマーが弦を打つ。ハンマーは突き上げレバー(ジャック)によって動かされるが,ハンマーが弦に接近するとこのレバーははずれ,ハンマーはそのあと慣性によって打弦する。グランド・ピアノにはジャックのほかにレピティション・レバーというもう一つのレバーがあって,安定した急速な反復音を可能にしている(ダブル・エスケープメント)。アップライト・ピアノにはこの第2のレバーがなく,速いリピート(反復)が不安定である(シングル・エスケープメント)。ハンマーの打弦に伴ってダンパー(消音装置)がはずれて発音を可能にし,ハンマーが弦からはね返るとダンパーは弦の上に落ちて音を止める。したがってピアノの演奏においては,指が鍵から離れるとダンパーの作用で直ちに音が鳴りやみ,鍵を押し下げている限り,ダンパーがはずれて音はかなり長く持続する。これによって,軽快なスタッカートから歌うようなレガートまで,ピアノ特有の多様な効果が生み出されるのである。ピアノには足で踏むペダルが通常2個付いている。右のダンパー・ペダルを踏むと全弦のダンパーが一斉に弦から離れるので,指が鍵を放しても音が持続し,また打たれた以外の弦も共鳴を起こして,質・量ともにいっそう豊かな音が得られる。ピアノ演奏の巧拙は,打鍵の方法とともに,この右ペダルの用法によるところが大きい。左ペダルはソフト・ペダル(弱音ペダル)と呼ばれ,踏むことによって音量が減少する。グランド・ピアノでは,左ペダルを踏むと鍵盤と打弦機構全体がやや右に移動して,各鍵に対応する3本ないし2本の弦のうち1本だけはハンマーの打撃から外され,音量と同時に音色も変化する。アップライト・ピアノの場合にはこれと異なり,ハンマー・レールが動いてハンマーの運動距離が短縮され,打弦速度が落ちて音量の減少が実現される。三つのペダルが付いているグランド・ピアノでは,中央のペダルはソステヌート・ペダルと呼ばれ,打鍵した音だけを持続させる。アップライト・ピアノの場合には,中央のペダルを踏むとハンマーと弦の間に薄いフェルトが挿入されて音を弱める。これは演奏効果のためではなく,練習のときいわばピアノ公害をもたらさないための対策にすぎない。なおピアノは,バイオリンなどの弦楽器と違って,弦の強大な張力のため疲労が早く,演奏会用のものでは5年程度の寿命しかない消耗品である。また使用につれて音律の狂いも生じるので,使用頻度に応じて調律が必要となる。
打弦楽器としてのピアノの前身は14世紀以来のダルシマーや17世紀末にドイツのP.ヘーベンシュトライトが考案した楽器パンタレオンなどにみることができるが,一般にピアノの発明者とされているのはイタリアのクリストフォリである。彼は1709年にハンマー打弦の楽器を試作し,1720年代にこれを改良して,基本原理において今日のピアノとほとんど等しい楽器を作り上げた。しかし彼の発明はイタリアでは注目されず,むしろドイツとイギリスで発展した。ドイツではG.ジルバーマンがクリストフォリの考案を採用して何台かを試作し,1740年代にはフリードリヒ大王のポツダム宮殿にも採用されて,晩年のJ.S.バッハがそれを試奏した。クリストフォリやG.ジルバーマンの打弦機構はいわゆる〈突き上げ方式Stossmechanik〉で,ハンマーは鍵と独立して別の固定的な支点をもち,ハンマーの付け根をレバーが突き上げて打弦する。これは今日のピアノと同じ原理である。それに対して,J.A.ジルバーマンは〈はね上げ方式Prellmechanik〉を考案した。この方式ではハンマーが鍵の後部に乗り,打鍵によって鍵の前部が下がると後部が上がり,ハンマーがはね上がって打弦する。この方式はシュタインJohann Andreas Steinらによって改良され,1790年代のウィーンで完成の域に達した。これは一般にウィーン式アクションと呼ばれて一時ドイツとウィーンで流行し,ハイドン,モーツァルト,フンメル,ベートーベン,チェルニーらが愛用した。一方,イギリスでは突き上げ方式が発達し,1776年にエスケープメント(離脱装置)も発明され,ブロードウッドJohn Broadwood(1732-1812)がさまざまな改良を加えて,1790年代にイギリス式アクションによる標準的なピアノを完成させた。このように,18世紀末からピアノには軽快なウィーン式アクションと力強い音のイギリス式アクションが共存したが,広い会場での公開演奏会の発達に伴ってイギリス式が勝利を収め,ウィーンでも1820年代にはイギリス式に移行した。《ハンマークラビーア・ソナタ》(作品106。1818)をはじめとするベートーベン晩年の雄大なピアノ曲は,イギリス式アクションによるブロードウッド製のピアノなしには生まれえなかったであろう(彼は1817年に同社から最新のピアノを贈呈されている)。
19世紀前半にはさらにさまざまな技術的くふうと改良がなされた。アクションの面では1822年にフランスのエラールSébastien Érard(1752-1831)とその甥ピエールPierre É.(1794-1865)がダブル・エスケープメントを考案,これは世紀後半に一般化した。世紀中ごろには種々の試みの末,フェルト巻きのハンマーが使われ始めた。音域に関しては,18世紀前半には大字ハ~3点ヘ(4オクターブ+4度)の55鍵がふつうだったが,以後しだいに拡張され,19世紀前半には下1点ハ~4点イ前後(およそ6オクターブ+6度),後半には下2点イ~5点ハ(7オクターブ+3度)の88鍵に達した。弦の材質改良(鋼鉄線や低音用の巻線)や,低音弦と中・高音弦を斜めに交差させる張り方も世紀前半に行われ,これによって音量が増し響きも豊かになった。こうした弦数の増加と張力の増大に伴って骨格を補強する必要性も生じ,金属製のフレームが使用されるようになった。アップライト・ピアノが登場するのもこの頃である。世紀後半には以上の新機軸が一体化されて,今日のピアノとほぼ同じものが生産されるようになった。会社としては,ウィーンのベーゼンドルファー社(1828-),ドイツ出身のH.E.シュタインウェークがニューヨークに創設したスタインウェー社(1853-),そしてベルリンのベヒシュタイン社(1853-)などがとくに有名で,いずれも今日まで優れた製品を生産し続けている。20世紀ではいくつか細かい改良が行われているほか,超大型のコンサート・グランド・ピアノや8オクターブに及ぶ音域のもの(ベーゼンドルファー)も製造されているが,本質的な変化はない。特殊なものとしては,19世紀末からレコードが普及するまで一時流行したロール紙を使った自動ピアノ(ピアノラ)や,弦振動を電気的に増幅する電気ピアノ,電子音の合成により人工的に音を作り出す電子ピアノなどがあり,とくに電子ピアノは音楽教育やポピュラー音楽でもよく使用されている。
日本にピアノが伝来したのは幕末期で,シーボルトが1823年(文政6)に持参したものがおそらく現存最古のものと思われる(萩市熊谷美術館)。80年には音楽取調掛の教師として来日したメーソンLuther Whiting Mason(1818-96)がアップライト・ピアノを持参しており,その後同掛でもアメリカからスクエア・ピアノを10台購入している。製作の面では,西川虎吉がドイツとアメリカのモデルに倣って1887年ころに作製したものが国産第1号といわれている。続いて山葉寅楠(1851-1916)が97年に日本楽器製造(株)(現,ヤマハ[株])を設立,アメリカに学んだ翌年の1900年にアップライト・ピアノを,02年にグランド・ピアノの製造・販売を開始した。この方面で貢献した人々にはこのほか,山葉直吉,松本新吉,松本広,福島琢郎,小野ピアノの小野好,そして第2次大戦後に独立工房を開いた大橋幡厳らがいる。また河合小市は1927年に河合楽器研究所(現,河合楽器製作所)を創立してただちにアップライト・ピアノ,グランド・ピアノの製造を開始,同社は現在でもヤマハに次ぐ生産規模を誇っている。大戦末期は製造が中止されたが,戦後すぐに大小の会社が林立し,まもなく戦前をしのぐ活況を呈した。やがて生産体制が手工業型から近代的な量産型に移行するとともに企業数は減少したが,現在の生産台数は世界第1位を誇り,品質も国際的にかなりの評価を得ている。83年通産省統計によると,生産台数は32万8000台(うちアップライト・ピアノは9割),輸出は8万8000台,輸出金額は240億円,国内の販売金額は約1183億円である。
今日,日本におけるピアノ文化の発展にはめざましいものがある。戦後は国際的に活躍する演奏家や教育者も増え,1978年以後は国際コンクールも開催されている。また戦前には一部階級に限られていた西洋音楽の教育と鑑賞が広く一般に開放され,家庭におけるピアノの保有率やピアノ人口も飛躍的に増大している。しかし数の上での増加が音楽文化の真の質的向上とは必ずしも一致しないことも事実で,ピアノ教育のあり方が常々問い直されている。一つには,西洋音楽の歴史が浅い日本ではその文化的・精神的背景を無視しがちであり,表面的な読譜と指先の機械的な技術の訓練だけに終わってしまう傾向があるという批判である。また入門用としてよくバイエル教則本(バイヤー)が使用されてきたが,日本でのバイエルの流行はメーソンが音楽取調掛でたまたまこれを教材としたことから始まったにすぎず,初心者の音楽的関心を伸ばす上で必ずしも常に適切であるとは限らない。現在ではほかにも特色ある教則本が多数知られているが,何を使うにせよ要はその使い方であり,真の音楽理解に目を向けさせる教育方法である。今一つは音感教育の問題である。ピアノは平均律で調律されているが,これは便利である反面,オクターブ以外は純正な響きではないという欠点をもつ。幼児期からピアノだけを通して絶対音感をたたき込まれると,誤った音感が形成されるおそれがある。
ドイツ語では鍵盤楽器,とくにオルガンを除いた弦鳴楽器を総称してクラビーアというが,ハープシコードやクラビコードのための音楽も現代ではピアノで演奏されることが多いため,すべての弦鳴クラビーア音楽をひっくるめてピアノ音楽ということがある。しかし厳密には18世紀後半以後の,ピアノによる演奏を意図した作品に限られる。もっとも18世紀以前は楽器指定がなかったりあいまいであることが多く,古典派の盛期に至るまでは使用すべき楽器が何であるかは必ずしも明確でない。狭義のピアノ音楽のおもな形態としては,ソナタをはじめとする独奏曲,連弾曲,2台または3台のピアノのための音楽,そして管弦楽を伴う協奏曲などがある。
クラビーア音楽の歴史は14世紀ころにさかのぼるが,当初は初めから器楽として書かれたものはあまり多くなく,声楽曲の楽器演奏か編曲が主体だった。声楽から独立して器楽独自の様式が生まれたのは16世紀からであるが,オルガン音楽と他のクラビーア音楽との様式的区別はなおあいまいであった。16世紀末エリザベス朝期のイギリスのバージナル楽派(バージナル)に至って初めて,ハープシコード音楽独自の作曲様式と奏法が確立される。17世紀に入るとイタリアのフレスコバルディがさまざまなジャンルのオルガンおよびハープシコード音楽を作曲し,続く世代に大きな影響を残した。フランスではシャンボニエールがクラブサン楽派を創始し,ドイツではフレスコバルディの弟子フローベルガーがバロック組曲の形式を確立した。18世紀前半では,フランスのF.クープランとラモー,ドイツのJ.S.バッハとヘンデル,イタリアのD.スカルラッティらが代表的存在である。とりわけJ.S.バッハは三つの組曲集において諸国民様式を総合すると同時に,バロック組曲を完成に導き,一方,2巻の《平均律クラビーア曲集》では対位法クラビーア音楽の頂点を築いた。長男の教育用に書いた2声と3声の《インベンション》とともに,これらは今日でも最も優れたピアノ教材となっている。スカルラッティは600曲に及ぶハープシコード・ソナタを残したが,それらは3度・6度の重音奏法や幅広い分散和音,各種の装飾音,両手の交差など,ピアノ奏法を基礎づけるのに大きな役割を果たした。前古典派ではイタリアのアルベルティDomenico Alberti(1710ころ-40ころ),ガルッピBaldassare Galuppi(1706-85)らのソナタ,J.S.バッハの息子たちのソナタと協奏曲が重要である。エマヌエルはハープシコードとクラビコードのための作品を250曲ほど残し,また《正しいクラビーア奏法の試論》2部(1753,62)を著して演奏理論史でも一時代を画した。弟のクリスティアンは1768年からピアノを使用している。
ピアノの使用が本格的になるのは18世紀最後の四半世紀である。ハイドンやモーツァルトも初めはハープシコードを使用していたが,前者の1788年以後の作品,後者の晩年の作品はいずれもピアノを想定して書かれている。この時期の最も重要なジャンルはソナタであるが,協奏曲や変奏曲も古典派様式独自の発展をとげた。モーツァルトはウィーン式ピアノの特性を生かして〈歌うアレグロ〉といわれる流れるような様式を完成させた。とくに協奏曲の分野での功績にはぬきんでたものがある。ベートーベンは32曲のソナタ,5曲の協奏曲,数多くの変奏曲において,ピアノによる劇的・性格的表現の一つの極限をきわめ,演奏技術の新たな可能性を開拓した。ソナタでは他にM.クレメンティが重要である。
19世紀はピアノの改良,演奏技術の発展,演奏会の定着などに伴って職業的ピアノ奏者が登場し,ビルトゥオーソの時代を迎える。作品がほぼピアノ音楽だけに限られ,〈ピアノの詩人〉と呼ばれたショパンや,超人的な技巧を要求する難曲を多数書いたリストも,作曲家であると同時に大演奏家でもあった。創作の面ではこの時代は二つの傾向に大別される。一つはソナタや協奏曲,変奏曲などの古典的なジャンルである。これらは依然として重要視されたが数の上では大幅に減少し,その形式と内容もロマン的な表現に塗り変えられた。シューベルト,メンデルスゾーン,世紀後半ではブラームスもある程度古典的な形式感を保っていたが,ショパン,シューマン,リストらの作品は完全にロマン的な様式を打ち出した。もう一つは性格小品(キャラクター・ピース)と呼ばれる,自由な形式のすぐれてロマン派的な作品群である。幻想曲,無言歌,即興曲,練習曲,間奏曲,セレナード,バラード,ラプソディ,舞曲(マズルカ,ポロネーズ,ハンガリー舞曲,ワルツ)などが含まれる。技巧的な難曲もあれば,繊細で抒情的な感受性をたたえたものもある。シューベルトの《楽興の時》やシューマンの《謝肉祭》《子どもの情景》,リストの《巡礼の年》などのように文学的標題をもち組曲の形をとるものが多い。以上のほか作曲家としては,フランスのフランク,サン・サーンス,フォーレ,ロシアのチャイコフスキー,ムソルグスキー,ラフマニノフ,ノルウェーのグリーグら枚挙にいとまがない。
ピアノ表現があらゆる面で極限まで拡大された時代としてとらえられる。印象派のドビュッシー(《子どもの領分》,《前奏曲集》2集)はドイツ・ロマン派的な感情表出と論理的和声法をしりぞけ,感覚的な音響世界を打ち出した。同じフランスのラベル(《鏡》《夜のガスパール》)はそれに精巧な形式感を付与し,ロシアではスクリャービンがまったく独自の和声語法を開拓した。ソ連のプロコフィエフ,新古典主義のストラビンスキー,そしてハンガリーの民族的要素を厳密な作法の中に昇華させたバルトーク(《アレグロ・バルバロ》《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》,子どものための《ミクロコスモス》6巻)らは,リズム的要素を強調してピアノの打楽器的用法を発展させた。十二音音楽(シェーンベルク,ベルク,ウェーベルン)や第2次大戦後のメシアン,ブーレーズ,シュトックハウゼンらのミュジック・セリエルは,極度に精緻な構造性を追究した。一方,アメリカのケージは1938年にピアノ弦に異物を挿入して特殊な音響を生じさせるプリペアード・ピアノを考案,種々の内部奏法への道を開いた。彼はその後偶然性を導入し,52年には奏者がいわゆる演奏をまったく行わない《4分33秒》を発表,大戦後のヨーロッパと日本に大きな衝撃を与えた。新しい奏法としては上記のほか,一定音域内の音をすべて鳴らすトーン・クラスターや倍音奏法などがある。日本でもさまざまな様式で多数のピアノ曲が書かれている。ドイツ,フランスの近代・現代の書法は機会あるごとに取り入れられてきた。戦後は十二音技法が導入され,上記のケージの考案もいち早く紹介されている。
ピアノは他のクラビーアとの構造上の違いがそのまま奏法に反映されている。レガートから鋭いスタッカート,急速な同音反復に至るあらゆるタッチの変化,最弱音から最強音に至るなめらかな音量変化,打鍵のエネルギーと速度やペダルの使用に応じたさまざまな音色変化など,打鍵中の音程・音量の変化以外は実にさまざまな種類の奏法が可能である。奏法は運指法とペダルの用法に大別され,それぞれ楽器性能の変化に応じて発展してきた。したがって時代によって指使いは異なるが,どれが最良の運指法であるかは一概にはいえない。それぞれの楽器にとって,それなりに合理的な方法があるといってよい。19世紀前半までは打弦機構の違いによってウィーン式,イギリス式,フランス式などの奏法があり,それぞれの伝統を形成した。奏法書としては,18世紀ではクープランの《クラブサン奏法》(1716)とエマヌエル・バッハの前掲書があるが,これらはまだハープシコードもしくはクラビコードの奏法を扱っている。ピアノ奏法書は1801年以後出版されるようになった。初期のものにはクレメンティ(《グラドゥス・アド・パルナッスム》),J.B.クラーマー,フンメル,チェルニー,モシェレスとフェティス(共著)らのものがあり,ほとんどが現在でも教則本として使われている。なお近年,現代ピアノ以前に書かれた曲を,その時代のモデル(もしくはその複製)を使って,当時の音高,調律,奏法で再現する歴史的演奏も盛んになりつつあり,今後の成果が注目される。
執筆者:角倉 一朗+土田 英三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
代表的な鍵盤(けんばん)楽器の一つで、発音の方式としては打弦の弦鳴楽器。ピアノという名称の由来は、この楽器の発明者とされるフィレンツェのクリストフォリBartolomeo Cristofori(1655―1730)について触れた記録で、「ピアノ(小音)とフォルテ(大音)が出せるチェンバロgravicembalo col piano e forte(グラビはクラビの訛(なま)り)」という表現が使われ、以後も正式名称としてはピアノフォルテが一般的である。18世紀にはフォルテピアノともよばれた。これらの名称がこの楽器の音そのものの特徴を表そうとするものであるのに対して、作りのうえでの特徴を名称のなかに入れたハンマークラビア(ハンマー操作によるクラビア)Hammerklavier(ドイツ語)という呼称もある。ちなみに、クラビアという用語は、かつては鍵盤楽器を総称するものであったし、バロック期以後現在に至るまで弦鳴の鍵盤楽器をまとめてさす用語である。
[山口 修]
チター属打弦の弦鳴楽器。すなわち箱型の胴体に張った弦を打奏する点で、この楽器の前身とされるクラビコードや、歴史的に多少の関係をもつチンバロン、ダルシマー、サントゥール、洋琴などと類似する。しかし、奏者が桴(ばち)で直接打ち鳴らすのではなく、鍵盤(キーボード)を介してハンマーに打奏をゆだねる点で独自の機構をもつ。この鍵盤を通じて演奏者と楽器内部機構とを連関させるという仕組みにおいては、発音原理分類上で異種とされる撥弦(はつげん)のチェンバロ(ハープシコード=ピアノが出現するまで類似の機能を果たしていた楽器)、さらに気鳴(および弁鳴)楽器オルガンとも関連しながら、ヨーロッパ音楽文化を形成し変貌(へんぼう)させていくうえで大きな役割を担っており、これらをまとめて鍵盤楽器と総称する形態分類用語さえ存在する。すなわち、鍵盤なしでは不可能な同時多音発音(和音および複声部旋律)の可能性に加えて、あらかじめ規定されたとおり調律してあれば容易に正しい音高(ピッチ)が出せる仕組みと、転調を演奏しやすいといった特質のおかげで、いわゆる鍵盤和声(キーボードハーモニー)、和声実習、ソルフェージュなどの音楽理論、作曲理論、音楽教育の場で果たしてきた鍵盤楽器の役割は多大なものがあり、なかでも新興の楽器ピアノはその中心となった。
それは、ピアノがチェンバロほど頻繁に調律する必要がなかったり、オルガンよりは設置や移動が容易であること、さらに後述するように、音持続と消音がある程度意のままになり、音量変化さえ自由に操作できることによっている。この性質は、作曲家が仕事をするときの道具としても便利であるため、いわゆるクラシックやその流れをくむ音楽の作曲現場の一般的イメージとしてピアノが不可分に結び付いているほどである。また、演奏の場においても、狭い室内から大きなホールに至るまでのさまざまな空間条件に見合う力を秘めているし、チェンバロなどよりも拡大された音域(7オクターブと3度、総計88鍵が標準)があるため、独奏や合奏の多くの演奏形態のなかに取り入れられ、作りのうえでの規格化と大量生産技術の進歩とも相まって、西洋のクラシックのみならず多くの国々のさまざまな音楽伝統に浸透していき、音楽学校や私的教授所の複雑なネットワークが生まれた。視覚的にも、美をたたえた重量感があるため、(竪(たて)型でも200~300キログラム)、家具ないしインテリア用品としても機能を果たし、国によってはステータスシンボルや装飾の意味まで賦与されることが多い。
しかし反面、諸民族が生活様式の時代的変化や文化によって異なる居住条件の違いに対応した形で、この楽器を導入継承してきたとは限らず、音やスペースのうえで公害問題を引き起こす事例さえ増え、防音装置を施したり、ピアノならぬ「ヘッドホン付き鍵盤」が考案されさえしている。音楽的にも、平均律に固定した音感教育の是非の論議、他の楽器にしかできない音楽的ニュアンスの見直し、鍵盤的音楽思考からの脱却傾向などが進展するにつれて、ピアノはかつての栄光の座から降ろされようとしている。とくに最近は、電子オルガンやシンセサイザーにとってかわられる部分が多くなってきている。
[山口 修]
現在普及しているピアノは、平型の巨大なグランド・ピアノ(「ベビーグランド」から「フルコンサート」まで寸法はさまざまで、ドイツ語ではFlügel〈羽、翼の意〉またはHammerflügel、フランス語ではpiano à queue〈しっぽのあるピアノ〉という)と、竪型で比較的スペースをとらないアップライト・ピアノの2種類があり、基本的には同じ製作原理を応用しているものの、細部では微妙に異なるくふうが施されている。いずれにせよ、外見は簡素で、一見して目に入るのは、白鍵と黒鍵(白黒がまれに逆の場合もある)からなる鍵盤(キーボード)、共鳴体としての機能をも兼ねた巨大な箱型の本体とそれを支える脚、金属製のペダル、の三つにすぎない。しかし、本体の内部には、鍵盤とペダルの操作に連関して効果的に働くさまざまな物体の選択と組合せや、力学的配慮が精密に施された人間の知恵の結集が隠されている。すなわち、金属製の弦(いわゆるピアノ線)、それらを打ち鳴らすためのハンマー、鍵(キー)の動きをハンマーに伝達するためのキャプスタンとエスケープメント、弦の振動を着実に受け止める響板、ダンパー(消音装置)、以上が基本として存在し、それぞれが個別にくふうされているだけでなく、それらの相互の有機的関連を図るべく、大小の部品が精妙に配置されている。
弦は鋼鉄製で、1個の鍵に対応する数は、低音部で1~2本、中音部で2~3本、高音部で3本となっていて、これは、できるだけ均質の音色を全音域にわたって獲得するための方策である。しかも、本体の寸法を無制限に大きくしても不都合であるから、音域によって弦の太さに変化を与えざるをえず(低音部では鋼鉄線の上に銅線をコイル状に巻き付ける)、その結果相当の張力を弦にもたせることになり、総力20トンにも及ぶといわれる。当然、この力を支えるだけの仕組みが必要であり、強固な鉄骨がその役割を果たしている。弦の固定は、ペルシアのサントゥールや中国のヤンチン(洋琴)と同じくピンでなされているが、両端がヒッチピンと調律ピンで留められ、これらのピンがそのまま駒(こま)の役割を果たすのではなく、全弦にわたって応用される細長い2本の枕木(まくらぎ)が駒として働き、振動弦長を決定する点で異なる。
枕木状の駒は響板に直接のった状態になっているので、弦の振動を効果的に響板に伝えることができる。この響板は、中央部がやや盛り上がった平板で、弦の圧力をすべて受け止めるため、湿度により疲労しやすく、ピアノの老朽化はここから始まることが多い。また、弦自体も温度や湿度の影響を受けるので、定期的な調律が必要である。
弦を直接打つためのハンマーは湾曲したフェルトを木芯(しん)に固定する方式をとり、高音部にいくほど先端が鋭く、しかも小型で軽くなる。フェルトの弾性は外側で大きく内側で小さい(硬い)ので、弦に働く力は打弦速度により微妙に変化をきたし、それに応じて音色と音量が決まる。さらに、ハンマー自体の弾性も鍵の一つずつに即して調整される(整音またはボイシング)。したがって、ピアノの生命は、一つにはハンマーの質とその調整法にあるということができる。ピアニストの音楽性が、微妙なタッチの訓練されたコントロールとして表出されるゆえんもここにある。ハンマーは、キャプスタンを媒介して鍵運動を打弦という動きに変えるのであるが、慣性で動くその敏感な仕組みのために、そのままでは何回もバウンドして弦を打つことになってしまうし、逆に次の打鍵を待ち構える余裕もなくなる。これを避けるために考案されたのがエスケープメントである。これには、グランド用のダブルエスケープメントとアップライト用のシングルエスケープメントとがある。ダブルの場合、鍵が元の位置に戻りきらないうちに次の打鍵をしてもすばやくハンマーに伝えることができるので、高速の連続打鍵が音楽的に利用しうるものとなる。
打たれた弦は、たとえ小音量であっても長く尾を引く余韻を聞かせ、次の音と重なってしまうことになる。そのような音響効果を求める音楽文化もあるが、ヨーロッパ的な感性ではかならずしも望ましいものではなく、そのために、鍵操作に呼応して弦の振動を止めるための機構としてのダンパーが取り付けられている。すなわち、エスケープメントの機構に連結してその運動の一部がダンパーにも伝えられ、正しいタイミングで弦に触れて音を消すのである。以上の打鍵から消音に至る瞬時のうちの複雑な力学的機構は「アクション」とよばれている。この用語は、演奏者の両手の指・手首・腕といった身体器官が連動して鍵盤に働きかけるピアノという楽器に対して、あたかも生命を与えて、手と呼応するピアノの部分の運動を擬人化してとらえたものと解釈することもできる。
同様に人間の身体器官と呼応する部分がピアノにはもう一つある。それは、足(脚)の動きで操作されるペダルである。ペダルの数は2を基本とし、3個ある場合は、特殊な機能がもたされる。右側のダンパーペダルは、すべての弦からダンパーを解放するためのものであり、打鍵したあと手を離しても弦振動が継続するだけでなく、共鳴関係にある打たれていない他の弦までいくらか振動するので、アジア的な音の混じり、ないしサワリ(一種のうなり)のような効果が生まれる。左側のペダルは弱音ペダルとよばれる。グランドでは、別名のシフティングペダルということばからもわかるように、鍵盤とアクション機構全体が右にすこし移動して複弦のうちの1本が打弦されず、したがって音量が小さく音色も変わる。アップライトでは、ハンマーの作動距離が短くなり、その結果打弦速度が遅くなるように仕組まれていて、必然的にタッチに「遊び」が生ずる。中央にペダルがある場合は、グランドではソステヌートペダルとよばれる。これは、打鍵の手を離す直前に踏むことにより、当該ダンパーを無機能にし、続けて打鍵する他の弦のダンパーは普通に作用するようにしたもので、特定の音を持続させてドローン的な効果をつくるのに役だつ。アップライトでは、ハンマーと弦の間にフェルトを挿入して音を弱める働きをする。これを弱音ペダルとよぶときは、左端のものをソフトペダルとよんで区別する。
[山口 修]
弦音の純粋な持続を表出するバイオリンなどの擦弦楽器とは違って、ピアノはアタック音が圧倒的に強いので、その点では、直接の前身であるチェンバロや間接的影響を受けたリュートといった撥弦楽器と共通する音素材を音楽家に提供してきた。ただし、ペダルをはじめとする複雑な機構のくふうは、アタック後の減衰を必要に応じて押さえるところにあり、そこにピアノのユニークさがある。もっとも、擦弦楽器と同質の持続性を求めるのではなく、あくまでも「点」および「余韻を強調した点」的な音を鎖状につなげることによって旋律の「線条性」を打ち出したり、同時にいくつかの音を出してその重音効果(協和音や不協和音)をいっそう強調しようとする、いわば音楽美学的欲求を満たす道具として利用されてきたと概観することができる。
17世紀前半にクリストフォリが創造的に凝らしたくふうを受けて、その後ドイツおよびオーストリアにその技術と精神が受け継がれた。その背景には、その直前まで桴(ハンマー)で打弦するダルシマー(ダンパーなし)がパンタレオンという名でドイツで広く愛好されていた事実を見逃すことはできない。すなわち、撥弦のチェンバロと打弦のダルシマーを結び付ける土壌はできていたのであり、しかもリュートにできなかったことをチェンバロにやらせ、それにも飽き足らずにいたのである。ピアノらしきものが次々と試行錯誤を通して生み出される傾向は、18世紀後半にはイギリスへも飛び火して、1777年にはエスケープメントを思わせるくふうがなされた。大陸でも実験的試みが相次ぎ、とくにアウクスブルクのJ・A・シュタインによるものは、アクション機構が優れ、1780年ごろにはウィーン式アクションとして広まってはいたが、ピアノというよりはチェンバロに近いものであった。ピアノ製作の動向はフランスとアメリカにも受け継がれ、普及の度合いを深めた。
ピアノらしいピアノがつくられるようになったのは、19世紀に入ってからイギリスとオーストリアにおいてである。そして、現在に至るまで日本を含めた諸外国でさまざまな改作を加えたものがつくられ、そのなかのごく一部だけが標準的なものとして生き残ってきた。たとえば19世紀前半にはブロードウッド(イギリス)、エラール(フランス)、そして後半にはスタインウェイ(ドイツとアメリカ)などが、手工業的生産によって安定した評価をかちとったが、現代にまでその伝統が完全に続いているわけではない。他方、シーボルトが最初にピアノを導入した日本では、20世紀になってヤマハや河合楽器のように大量生産をシステム化して音楽産業として成功を収めた例もある。
ピアノの歴史には、ある程度は鍵盤楽器音楽の様式自体の変遷との相関関係を見て取ることができる。J・S・バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンと大まかにたどるだけでも、たとえば音域の拡大、独奏・合奏・歌曲伴奏での働きといった側面で現代のピアノのイメージに近づく過程がたどれるし、そこには、発しうる音量や音域の拡大などの要因が作曲や演奏の様式の変遷につながった何かが読み取れる。具体的には、大編成のオーケストラと対抗できるだけの音量、シンフォニックな音響の広がりを一台で表現できるだけの音域と演奏技術の拡大、また反面、微妙な陰影の表現が可能なために独奏曲や歌曲伴奏において多様な形式を生み出していったのである。この傾向は、ロマン派の時代から現代に至るまでさらに助長された。シューマン、ショパン、リスト、ドビュッシーらによるピアノの名曲が生まれ、楽器も民族的差異を微妙なところで示すようにさえなった。
ピアノのこうした潜在的な変貌(へんぼう)能力がもっとも端的に顕在化したのは、ジャズやポピュラー音楽においてであろう。まったく異なる様式の音楽においては、奏法を旧来のピアノにこだわらず、ジャズ・ピアノでの伸ばしきった指での鋭いタッチや隣接する鍵を同時に鳴らして中間音の効果をねらうなど、独自の斬新(ざんしん)な手法により変容がもたらされている。また、発音以前の楽器そのものに手を加えてしまう例もある。たとえば、ビルマにおいて平均律とは異なる音律体系で調律したり、前衛音楽におけるようにまったくの異物をピアノの内部に組み込んで音を変質させるプリペアド・ピアノなどが好例である。他方、一度は廃れたかつてのさまざまなピアノの形を見直す傾向もあり、とくにそれぞれの時代様式を楽器とともに復原することが試みられている。ピアノはまさに、過去・現在・未来で変化に富んだ大小の姿を人類の音楽文化のなかに呈するのである。
[山口 修]
『中谷孝男著『ピアノの構造と知識』(1961・音楽之友社)』▽『属啓成著『グラフィック ピアノの歴史』(1987・音楽之友社)』▽『斎藤義孝著『調律師からの贈物――グランドピアノの基礎知識』(1982・音楽之友社)』▽『アーベル著、服部幸三訳『ピアノ音楽史』(1957・音楽之友社)』
イタリアの建築家。ジェノバに生まれ、ミラノ工科大学で建築を学ぶ。1970年同じイタリア生まれの建築家で、後にロイズ・オブ・ロンドン(1986)の設計者として広く知られることになるリチャード・ロジャーズと共同で設計事務所を開く。1971年パリを舞台とした国際的な設計競技において、彼らが応募した特異なハイテク系デザインの計画案が当選し、一躍注目を集める存在となった。この作品が、1977年パリに完成したポンピドー・センターである。構造技術面ではオブ・アラップが協力した。その後、ピアノはロジャーズと別れ、ピーター・ライスPeter Rice(1935―1992)などと共同で活動した後、自らのアトリエを主宰した。1986年米国ヒューストンにメニルコレクション美術館を完成させた。1989年(平成1)関西国際空港の開設に伴う旅客ターミナルビルの国際的な指名設計競技において最優秀作品となった。ターミナルビルは1994年に完成し、開港した。ピアノのデザインに特有の工業的でありながら軽快柔軟な構造体を、空間表現の根幹にすえて建築の利用者を圧迫感なくつつみこむ手法は、トリノのフィアット工場増改築(1993)、ジェノバの都市鉄道駅舎群(1994)などの作品において終始一貫している。
[長谷川堯]
『二川幸夫著『GAアーキテクト14 世界の建築家』(1997、エーディーエー・エディタ・トーキョー)』
五線記譜法に用いる演奏記号の一種で、相対的に「音量を小さく」「弱く」の意味。通常pと略記される。ほかに多用されるものとして、メゾ・ピアノmezzo p.(mpと略記。やや弱く)、ピアニッシモpianissimo(ppと略記。非常に弱く)などがある。pの数が増すごとに弱さの度合いも増し、極端な例ではチャイコフスキーの交響曲第六番「悲愴(ひそう)」第一楽章にppppppが用いられている。
[柴田典子]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…両者は総売上高の2割前後を輸出している。主要楽器販売額をみると,ピアノと電子オルガンが圧倒的に多く,それぞれ5割強,3割強を占めている。この主要2品目はヤマハ,河合楽器の寡占下にあり,両社のシェア合計は9割を超え,両社の立地する浜松地区で大半が生産されている。…
…一方,リード・オルガンやアコーディオンは,鍵の操作によってフリー・リードを振動させる。弦鳴鍵盤楽器の中には,撥弦によるもの(ハープシコード属)と打弦によるもの(クラビコード,ピアノ)の2種類がある。体鳴鍵盤楽器は,鍵盤の操作によって鉄製の平板をフェルトハンマーで打つチェレスタによって代表される。…
…またクラビーア教科書《正しいクラビーア奏法の試論》2部(1753,62。邦訳《正しいピアノ奏法》1963)も,当時の演奏法を知るうえで重要な文献となっている。彼の時代はハープシコードやクラビコードから初期のピアノへの過渡期にあたり,ハープシコードとピアノの対照をねらった二重協奏曲も書いた。…
※「ピアノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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