20世紀日本人名事典 「萩原蘿月」の解説 萩原 蘿月ハギワラ ラゲツ 大正・昭和期の俳人,俳文学者 生年明治17(1884)年5月5日 没年昭和36(1961)年2月17日 出生地神奈川県横浜市 本名萩原 芳之助 学歴〔年〕東京帝国大学国文科〔明治43年〕卒 経歴弘前高女をはじめ各地の中学校、女学校の教諭をし、かたわら明治学院、東京農大、慶大講師を歴任し、大正4年二松学舎専門学校教授に就任。この間、俳誌「冬木」を創刊し、昭和3年「唐桧葉」を創刊。感激主義を唱導し、非定型、口語調の作品を多く作る。戦後は内田南草の「梨の花」「感動律」に拠った。句集に「雪線」があり、他に「詩人芭蕉」「史論俳句選釈」などの著書がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「萩原蘿月」の解説 萩原蘿月 はぎわら-らげつ 1884-1961 大正-昭和時代の俳人。明治17年5月5日生まれ。内藤鳴雪,高浜虚子らにまなぶ。「冬木」「唐檜葉(からひば)」を創刊し,感動主義の自由律俳句を主張した。二松学舎大教授。昭和36年2月17日死去。76歳。神奈川県出身。東京帝大卒。本名は芳之助。句集に「雪線」,著作に「芭蕉の全貌(ぜんぼう)」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by