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内藤鳴雪 ないとう めいせつ

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美術人名辞典の解説

内藤鳴雪

俳人。東京生。名は素行、号は南塘・老梅居等。文部省参事官を経て藩の常盤会宿舎の監督となり、舎生の正岡子規の影響で、句作を始める。豊かな学識と古典的格調を持つ俳人として知られる。大正15年(1926)歿、80才。

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デジタル大辞泉の解説

ないとう‐めいせつ【内藤鳴雪】

[1847~1926]俳人。江戸の生まれ。本名、素行。別号、老梅居。正岡子規の影響で俳句を始める。平明温雅な作風で、日本派の長老と仰がれた。著「鳴雪句集」「鳴雪俳話」など。

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百科事典マイペディアの解説

内藤鳴雪【ないとうめいせつ】

俳人。本名素行(もとゆき)。江戸の松山藩邸で生まれ昌平黌に学んだ。文部省に入り参事官で退官。40代半ばから,当時監督をつとめていた常盤会宿舎の寄宿生正岡子規の感化により俳句を本格的に始め,その指導を受けた。
→関連項目ホトトギス渡辺水巴

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

内藤鳴雪 ないとう-めいせつ

1847-1926 明治-大正時代の俳人。
弘化(こうか)4年4月15日生まれ。伊予(いよ)松山藩士の子。文部省参事官をへて旧藩主設立の常盤会(ときわかい)寄宿舎監督。舎生の正岡子規にまなび,子規没後も日本派の長老として活躍した。大正15年2月20日死去。80歳。江戸出身。本名は素行。別号に南塘,老梅居。句集に「鳴雪句集」,著作に「鳴雪自叙伝」など。
【格言など】ただ頼む湯婆(たんぽ)一つの寒さ哉(最期の吟詠)

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朝日日本歴史人物事典の解説

内藤鳴雪

没年:昭和1.2.20(1926)
生年:弘化4.4.15(1847.5.29)
明治大正時代の俳人。本名素行。伊予松山藩士内藤同人の長男として江戸に生まれる。漢学を修めたのち,京都へ遊学。長州征討の従軍などを経て官吏となる。明治25(1892)年に正岡子規に俳句を学び,南塘,破焦の号で句作を始めた。和漢の学識と明治の情調にあふれた「初冬の竹緑なり詩仙堂」などの句は国民的に親しまれている。また,飄々乎として円満洒脱な人柄は万人から敬慕された。その死は,明治俳句の終焉を象徴するものであったともいえるであろう。著書に『鳴雪句集』(1909),『鳴雪自叙伝』(1922),『鳴雪俳句集』(1942)などがある。

(平石典子)

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大辞林 第三版の解説

ないとうめいせつ【内藤鳴雪】

1847~1926) 俳人。江戸松山藩邸で生まれる。名は素行なりゆき。四六歳のとき,子規に師事し,日本派の長老として当時を代表した。著「鳴雪俳話」「鳴雪句集」「鳴雪自叙伝」など。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

内藤鳴雪
ないとうめいせつ

[生]弘化4(1847).4.15. 江戸
[没]1926.2.20. 東京
俳人。本名,素行。松山藩士の家に生れ,京都遊学後に上京,昌平黌に学ぶ。松山藩常盤会寄宿舎監督のとき,20歳年下の舎生正岡子規の感化により句作を始め,鳴雪と号した。和漢の学にすぐれ,古典的な描写句を得意とした『日本』派の長老で,『鳴雪句集』 (1909) ,『鳴雪俳句集』 (26) などがある。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

内藤鳴雪
ないとうめいせつ
(1847―1926)

俳人。伊予松山藩士の子として江戸に生まれる。本名素行(もとゆき)。「なりゆき」ともいい、鳴雪の号はこれにちなむ。愛媛県官、文部省参事官を経て、松山藩の常盤(ときわ)会寄宿舎舎監となり、舎生正岡子規(しき)の感化を受けて句作を始め、和漢の学に通じた学殖と飄逸恬淡(ひょういつてんたん)の人柄と相まって、日本派の後見、俳壇の長老と仰がれた。『鳴雪俳句集』(1926)、『鳴雪自叙伝』(1922)など、著書も多い。[村山古郷]
 初冬の竹緑なり詩仙堂
『愛媛大学叢書刊行会編『俳人 内藤鳴雪』復刻版(1976・青葉図書)』

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