落選展(読み)らくせんてん(その他表記)Salon des Refusés

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「落選展」の意味・わかりやすい解説

落選展
らくせんてん
Salon des Refusés

サロン・デ・ルフュゼ。 1863年にパリで開催された美術展。官展に落選した作品を集めて,その会場と隣合せに開催された。官展の審査が偏傾しているという前衛的芸術家たちの主張にこたえて,ナポレオン3世により企画された。出品者にマネ,モネ,ピサロ,ホイッスラーらがおり,当時の最も革新的な作品が初めて公衆の前に展示された,近代美術史上画期的な事件である。特にマネの出品作品『草上の昼食』は,裸体の女性と着衣の男性を日常的情景のもとに一緒に描いていることによってスキャンダルとなった。その後マネを中心として若い画家たちが集り,印象派を形成する契機となった。

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世界大百科事典(旧版)内の落選展の言及

【サロン】より

…これに対する巻返しも激しく,二月革命(1848)後のサロンは無審査とし,翌年から革命側に好意的な人々を審査員に選ぶなどしたが,ナポレオン3世の政権獲得とともに再び保守的傾向に戻った。1863年のサロンは5000点の応募に対し3000点を落選させるという厳しいものであった(前回は4000点入選)ため,ナポレオン3世の助言で落選展Salon des refusés(マネ,ピサロ,ファンタン・ラトゥールらが出品)が行われ,結果としてサロン批判の声を高めることとなった。74年にはサロン入選を果たせない若い世代が印象派展を企画し,81年にはフランス芸術家協会Société des artistes français,84年にはアンデパンダン展Salon de la Société des artistes indépendantsなど,次々に独立分派活動が発足した。…

【美術展覧会】より

…ここでは出品はアカデミー会員(または準会員)の特権となっていたが,フランス革命の直後J.L.ダビッドの提案でこの特権は廃止されることになった。1863年には,サロン落選者のための落選展Salon des refusésが開かれた。その後,この公的機関によるサロンに反対して84年にアンデパンダン展Salon de la Société des artistes indépendantsが組織されたのを初めとして,サロン・ドートンヌSalon d’automne(1903),サロン・デ・チュイルリーSalon des Tuilerie(1923)などがそれぞれの美学上の主張を掲げて組織されている。…

※「落選展」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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