ナポレオン3世(読み)ナポレオンさんせい(英語表記)Napoléon III; Charles Louis Napoléon Bonaparte

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナポレオン3世」の意味・わかりやすい解説

ナポレオン3世
ナポレオンさんせい
Napoléon III; Charles Louis Napoléon Bonaparte

[生]1808.4.20. パリ
[没]1873.1.9. ロンドン近郊チズルハースト
フランス第二帝政皇帝 (在位 1852~70) 。「ナポレオン的理念」の継承者ならびに社会の秩序と安定の擁護者という使命感をいだき,『貧困絶滅』を書き皇帝社会主義を主張したことで知られる。ナポレオン1世の弟オランダ王ルイ・ボナパルトとオルタンス・ド・ボーアルネの第3子。ルイ・ナポレオンと呼ばれた。 1815年のナポレオン1世の没落で,ボナパルト家は国外へ逃れ,彼は母親によってドイツ,スイス,イタリアで養育された。1人残った兄が 31年に死に,翌年にはナポレオン1世のひとり息子が世を去ると,ルイ・ナポレオンがボナパルト家の宗主となり,ナポレオン1世の後継者として,また有能な扇動家として知られるようになった。 1836年 10月七月王政打倒の反乱失敗,アメリカに追放された。 40年8月再度反乱を企てたが,失敗。終身禁錮を宣告され,投獄された。 46年5月ロンドンに脱出二月革命の報でパリに帰り,48年 12月の大統領選挙で圧倒的勝利を博した。 51年 12月2日武力で議会を解散し,翌年クーデター記念日に帝位につき第二帝政を開始。彼の支配体制は市民的自由を抑圧したが,産業革命を推進する機能を果し,帝国は経済的繁栄をみた。しかし対外政策はイタリア問題でフランスを国際的孤立化へと走らせ,特にメキシコ遠征の失敗は帝政の威信内外に失墜させた。 69年議会帝政に入ったが,70年9月普仏戦争に敗れ,みずからも捕虜となり帝政は崩壊した。

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