蒜生村(読み)ひりゆうむら

日本歴史地名大系 「蒜生村」の解説

蒜生村
ひりゆうむら

[現在地名]玉川村蒜生

阿武隈高地西縁と阿武隈川東岸平地との境に位置し、南は川辺かわべ村、北は西流する玉川(現在の泉郷川)を挟んで小高おだか村。明応五年(一四九六)と推定される八月四日の石川一家同心状案(八槻文書)に蒜生政広の名がみえる。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に「飛類生」とみえ高二二二石余。寛永四年(一六二七)以降白河藩領、寛保元年(一七四一)幕府領、嘉永三年(一八五〇)下総多古藩領となり幕末に至る。白河古領村郷高帳では高二三〇石余。安永三年(一七七四)の指出帳(角田家文書)による高二三八石余、家数二一・人数一一一、馬七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android