蒲原庄(読み)かんばらのしよう

日本歴史地名大系 「蒲原庄」の解説

蒲原庄
かんばらのしよう

鎌倉期からみえる庄園。古代廬原郡蒲原郷(和名抄)の郷名を継承する。文治四年(一一八八)六月一一日の中原親能請文(「吾妻鏡」同年七月二八日条)に「駿河国蒲原御庄御年貢事」とある。当庄を親能が大外記中原師尚から預り管理していたが、庄園領主から年貢を抑留されたと後白河院に訴えがあり、それに答えている。建久元年(一一九〇)頃までに作成されたと考えられる中院流家領目録土代(久我家文書)に庄名がみえ、村上源氏の中院家・久我家に伝領されたものは領家職と考えられ、承久三年(一二二一)四月九日、当庄は高野山金剛心こんごうしん院領で、領家職は源雅清(村上源氏の唐橋家)が相伝してきたこと、亡父(源通資)菩提を弔うため領家職を山城石清水いわしみず八幡宮寺に大乗会料所として寄進し、別当幸清が門跡として相承すること、金剛心院への年貢は宮寺が徴収して寺庫に進納することなどが定められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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