庵原郡(読み)いはらぐん

日本歴史地名大系 「庵原郡」の解説

庵原郡
いはらぐん

面積:六八・六四平方キロ
蒲原かんばら町・富士川ふじかわ町・由比ゆい

静岡県の中央東寄りに位置する。郡域の北から東を富士川が流れ、駿河湾に注ぐ。東は富士市、北は富士宮市・富士郡芝川しばかわ町、西は同町と清水市、南は駿河湾に臨む。平地は駿河湾沿いと富士川沿いにあるが、由比町と清水市の境には急峻なさつた山が海岸近くまで張出している。富士川沿いから駿河湾沿いを国道一号・東名自動車道、JR東海道本線が通り、東海道新幹線の蒲原・由比の両トンネルがある。古代は「廬原郡」と記され「いおはら」と読まれたが、中世近世には庵原郡となり、「いはら」と読まれた。「和名抄」東急本国郡部に「伊保波良」の訓がある。「国造本紀」にみえる廬原国造にちなむ郡名であろう。

〔古代〕

郡域は現富士川町蒲原町・由比町および清水市の大半である。東は富士郡、西は安倍あべ郡・有度うど郡と接し、北は甲斐国と接していた。南は駿河湾で現在の富士川河口より西側には多胡たごの浦が広がっていた。富士郡との境は富士川であり、有度郡との境については従来ともえ川とされてきたが、平城京跡出土木簡に「廬原郡川名郷三保里」(「平城宮木簡概報」二二―二三頁)とみえるので、砂嘴上の現清水市三保みほも含めて、さらに同市村松むらまつ駒越こまごえ折戸おりど付近も含まれていたと考えられる。

郡域の古墳分布は大きく分けて庵原川流域と巴川流域の二つの地域に分けられる。まず遅くとも四世紀末までに庵原古墳群の全長約六〇メートルの前方後円墳である清水市三池平みいけだいら古墳が築造される。同墳の主体部は竪穴式石室の中に割竹形石棺が置かれ、石棺の外の板石上には方格規矩四神鏡・四獣文鏡・紡錘車形石製品・帆立貝形石製品・筒形銅器・農工具・大刀・剣・鉄鏃などが置かれていた。このような豊富な副葬品から被葬者は畿内勢力とかかわりあいが大きいとする見解もある。その後、庵原古墳群は午王堂山ごおうどうやま支群と神明しんめい支群の二つの地区で五世紀前半から古墳が築造される。ところが五世紀には盛んに築造されるが、五世紀末から六世紀にかけては築造が中断され、七世紀前半に再開する。中断した時期は静岡市と清水市にまたがる谷田やだ古墳群・大谷おおや古墳群が盛行する。一方、巴川流域については両市の境界線上の丘陵に瀬名せな古墳群があり、五世紀代に前方後円墳二基・円墳七基が築造される。その後、有度山北麓の谷田古墳群に勢力が移る。庵原古墳群が五世紀末に築造が中断されることについては、ヤマト王権の古墳築造に対する規制とみる見解もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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