蒲萄村(読み)ぶどうむら

日本歴史地名大系 「蒲萄村」の解説

蒲萄村
ぶどうむら

[現在地名]朝日村蒲萄

北へ流れる蒲萄川の上流に位置し、北は中小屋(なかごや)村に接する。出羽街道が南北に通り、北の蒲萄峠を越えて大沢(おおさわ)村・大毎(おおごと)村(現山北町)に達する。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には「□□(大国)但馬分ぶたうが谷村 上」とみえ、本納四七石一斗八升・縄高七一石七斗八升、家一五軒、「塩ノ町ヨリ十八里」と記される。近世は村上藩領、のち幕府領となり、幕末は米沢藩預所。正保国絵図では高三〇〇石余。寛文二年(一六六二)の検地帳(蒲萄区有文書)によれば総計は田九町九反一畝余・畑二町七反八畝余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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