日本歴史地名大系 「蔭木城」の解説 蔭木城かげきじよう 兵庫県:小野市粟生村蔭木城蔭木城は古城記のたぐいには登場しない。文明一七年(一四八五)再度播磨に進出してきた山名政豊と赤松政則が当城で戦い、山名氏の重臣である垣屋孝知以下三五〇人が討死し、播磨撤退のきっかけとなっている(「蔭涼軒日録」同年四月一日条)。同じ内容を「多聞院日記」同年四月一〇日条では森岡(もりおか)城としている。赤松政則は直前の閏三月四日に光明(こうみよう)寺(現滝野町)に陣を置き、出撃している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by