蔭木城(読み)かげきじよう

日本歴史地名大系 「蔭木城」の解説

蔭木城
かげきじよう

蔭木城は古城記のたぐいには登場しない。文明一七年(一四八五)再度播磨に進出してきた山名政豊赤松政則が当城で戦い、山名氏の重臣である垣屋孝知以下三五〇人が討死し、播磨撤退のきっかけとなっている(「蔭涼軒日録」同年四月一日条)。同じ内容を「多聞院日記」同年四月一〇日条では森岡もりおか城としている。赤松政則は直前の閏三月四日に光明こうみよう(現滝野町)に陣を置き、出撃している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android