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蕭道成 ショウドウセイ

大辞林 第三版の解説

しょうどうせい【蕭道成】

427~482) 中国、南朝斉の初代皇帝(在位479~482)。諡おくりなは高帝。廟号びようごうは太祖。宋の順帝の禅譲により即位。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蕭道成
しょうどうせい

太祖[斉]」のページをご覧ください。

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世界大百科事典内の蕭道成の言及

【魏晋南北朝時代】より

…これにとって代わったのが(南斉)であり,南斉も宋とよく似た政治過程を経て,に滅ぼされた。南斉と梁の建設者蕭道成(高帝)および蕭衍(しようえん)(武帝)の出身した蕭氏は寒門士族であり,蕭道成も蕭衍も北魏との国境地帯(江北・淮南(わいなん))に配置された軍司令官であった。現地にはかつて華北から避難してきた人々が居住しており,それを指導する土着豪族たちは中央の門閥貴族から寒門視された。…

【高帝】より

…在位479‐482年。姓名は蕭道成,廟号は太祖。本来は蘭陵郡の人で蕭何の24世孫と称する。…

【斉】より

…北朝の斉を北斉と呼ぶのに対して南斉と呼ぶ。晋陵武進(江蘇省常州)に僑置された南蘭陵蘭陵の人,蕭道成(しようどうせい)(高帝)が創業。対北魏防衛の拠点である淮陰(わいいん)(江蘇省淮陰)の軍閥として実力を蓄え,中央に召されて軍政を担当,江州刺史桂陽王劉休範,荆州刺史沈攸之(しんゆうし)などの挙兵を平定して宋から王朝を譲られた。…

【宋】より

…一方,439年(太延5)には北魏の太武帝が北涼を滅して華北の統一に成功,南北朝対立の緊迫した形勢がかたまり,明帝期には淮水(わいすい)以北から山東半島にいたる領土を北魏に奪われた。そして宋王朝を奪ったのは,この北部戦線で実力を築いた軍閥の蕭道成(斉の高帝)であった。魏晋南北朝時代【吉川 忠夫】
[対倭政策]
 東晋のあとを継いだ宋は,東晋と交渉のあった諸国王をそのまま自王朝の藩臣として位置づけようとして,東晋が諸国王に与えていた将軍号のランクを昇進させた。…

※「蕭道成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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