太祖(読み)タイソ(その他表記)Tài zǔ

デジタル大辞泉 「太祖」の意味・読み・例文・類語

たい‐そ【太祖】

中国・朝鮮ベトナム王朝で、始祖である皇帝に贈られた廟号趙匡胤ちょうきょういんチンギス=ハン朱元璋しゅげんしょうヌルハチ李氏朝鮮李成桂りせいけいなどが有名。
物事がそこから始まったおおもと。また、ある事柄の始祖。

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精選版 日本国語大辞典 「太祖」の意味・読み・例文・類語

たい‐そ【太祖・大祖】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中国・朝鮮などで、その王朝の初代帝王の称。諡号の上に冠していう。梁の朱全忠、宋の趙匡胤、元のジンギスカン、明の朱元璋、清のヌルハチ、李氏朝鮮の李成桂など。わが国で、神武天皇をさしていうこともある。
    1. [初出の実例]「大祖神武より第十二代景行までは」(出典:神皇正統記(1339‐43)上)
    2. 「今の清朝の大祖(タイソ)たる愛親覚羅氏は義経の子孫である、との事を書いて」(出典:面白半分(1917)〈宮武外骨〉義経再興記の訳者)
    3. [その他の文献]〔詩経‐大雅・常武〕
  3. ある事柄の始祖。その偉業を最初になしとげたり、確立したりした人。
    1. [初出の実例]「右天満自在天神。或塩梅於天下、輔導一人、或日月於天上、照臨万民、就中文道之大祖、風月之本主也」(出典:本朝文粋(1060頃)一三・北野天神供御幣并種々物文〈大江匡衡〉)
    2. 「下賤の匹夫のなりあがりを我太祖(タイソ)なりといはるるをば」(出典:小説神髄(1885‐86)〈坪内逍遙〉上)

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改訂新版 世界大百科事典 「太祖」の意味・わかりやすい解説

太祖 (たいそ)
Tài zǔ
生没年:927-976

中国,宋朝を開創した皇帝。姓は趙,名は匡胤(きよういん)。涿(たく)郡(河北省)の人。五代の武人趙弘殷の次子として洛陽の軍営で生まれた。後周世宗に重用され,禁軍(親衛隊)の総司令官である殿前都点検になった。959年(顕徳6),世宗が没して,わずか7歳の恭帝が後をついだが,それを不満とする禁軍将兵たちは,翌年正月,趙匡胤を皇帝に擁立した。彼は即位して国号を宋と定め,世宗が始めた中国統一の事業をひきつぎ,江南に割拠していた荆南,楚,南漢,後蜀,南唐をつぎつぎに征服して,唐末以来の分裂状態にほぼ終止符を打った。統一事業を進める一方で,君主独裁の中央集権体制をつくっていった。まず五代に王朝が頻繁に交代したのは,多くは禁軍のクーデタによるものであったから,その危険性をなくすため,総司令官の殿前都点検を廃止して,侍衛馬軍,侍衛歩軍,殿前諸班の3軍を分立し,それを統率するものは皇帝のみとした。

 さらに唐末五代の分裂抗争は,藩鎮(地方軍閥)が強大になって皇帝権力が弱かったことによるとの反省から,これまで藩鎮がにぎっていた地方行政,財政,軍事などの諸権限を中央に回収して,その勢力を削減していった。すなわち税収のほとんどすべてを中央に送納させて,地方には最低必要量しかとどめさせず,強壮な兵卒は禁軍に編入して廂軍(地方軍)を骨抜きにした。また地方行政官はすべて中央から文臣を派遣し,しかも知州(州知事)のほかに通判(副知事)を置いて互いにけん制させるなど,地方勢力の台頭を防止する方策を講じた。中央機構でも同中書門下平章事(宰相)のほかに参知政事(副宰相)を置いて合議制とし,財政は三司使,軍政は枢密使にゆだねるなどして宰相の権限を縮小し,特定の臣僚に権力を集中させないようにした。こうした君主独裁体制はつづく太宗によっていっそう強化され,後世に引きつがれた。彼には逸話が多く,後代には《飛竜記》という小説さえ作られた。
執筆者:


太祖(遼) (たいそ)
Tài zǔ

耶律阿保機(やりつあぼき)


太祖(北魏) (たいそ)
Tài zǔ

拓跋珪(たくばつけい)


太祖(金) (たいそ)
Tài zǔ


太祖(高麗) (たいそ)
T`ae-jo

王建(高麗)


太祖(清) (たいそ)
Tài zǔ


太祖(後梁) (たいそ)
Tài zǔ


太祖(明) (たいそ)
Tài zǔ


太祖(李朝) (たいそ)
T`ae-jo


太祖(魏) (たいそ)
Tài zǔ


太祖(南斉) (たいそ)
Tài zǔ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太祖」の意味・わかりやすい解説

太祖[高麗]
たいそ[こうらい]
T'aejo

[生]?
[没]943
朝鮮,高麗の始祖 (在位 918~943) 。姓は王,名は建。字は若天。出身は伝説化されて不明であるが,父は松岳 (開城) 地方の豪族で新羅末期泰封国に帰服したが王建もともに帰服し,松岳城主に任命された。以後各地に転戦し大きな成果をあげたが,弓裔が横暴に流れて人心を失うと諸将に推されて王となり (918) ,高麗朝を創立した。しかし当時は後百済 (こうひゃくさい) の甄萱 (けんけん) が朝鮮南西に拠って勢力を保ち,南東部には新羅が残存していた。やがて後百済に脅かされた新羅は天授 18 (935) 年太祖に投降し,翌年内紛によって後百済の甄萱もまた投降したので太祖は後百済軍を破って朝鮮全土の統一に成功した。太祖は新羅王や旧貴族たちをも優遇して巧みに中央集権の基礎を固めた。三省六尚書九寺の官制を定め,地方に州,郡,県,部曲をおいたが,なお各地には豪族の勢力が残っていた。太祖はこれら豪族を完全にその支配下におく前に没したので彼の死後再びこれら豪族による反乱が起り,その完全な収拾に数十年を要した。太祖はまた仏教を国教とし,治政上の教訓をいくつか残している。

太祖[宋]
たいそ[そう]
Tai-zu; T`ai-tsu

[生]後唐,天成2(927).洛陽
[没]開宝9(976).10.20. 開封
中国,北宋の第1代皇帝 (在位 960~976) 。姓名は趙匡胤 (きょういん) 。諡は英武睿文神徳聖功至明大孝皇帝。趙弘殷 (武清軍節度太尉) の次子,母は杜氏。容貌雄偉,騎射にすぐれていた。後周の世宗 (→柴栄 ) に仕えて武功を立て殿前都点検となり,顕徳6 (959) 年世宗が没し7歳の恭帝が即位すると帰徳軍節度使検校太尉となった。ときに北漢の来攻があり,翌年1月3日陳橋駅 (開封の北郊) に出陣。翌朝天子に擁立され,同日開封に帰り恭帝の譲りを受けて即位,建隆と改元,国号を宋と定めた。在位 17年の間に,外は呉越,北漢2国を除く五代以来の地方軍閥政権を平定統合し,内は藩鎮勢力を削減して武人政治をやめ,中央から文人官僚を全国に派遣して文治主義に基づく中央集権政治に切替え,官制,軍制,財制を改革して皇帝独裁権を強化した。酒癖があったので,弟太宗に殺されたという説がある。

太祖
たいそ

(1) Patriarchs カトリックの用語としては,旧約聖書に記される人類の始祖たち,すなわち,大洪水以前のアダムからノアまでの 10人をさすが,より狭義にはイスラエルの始祖である族長たち,すなわち,アブラハム,イサク,ヤコブ,およびヤコブの 12人の子に用いられる。なお原語は主要司教座の司教の称号に用いられるが,その場合は,総大司教 (総司教) と訳される。 (2) 初代の帝王,王朝の始祖。中国,朝鮮,ベトナムで用いる。

太祖[斉]
たいそ[せい]
Tai-zu; T`ai-tsu

[生]元嘉4(427)
[没]建元4(482)
中国,南斉の第1代皇帝 (在位 479~482) 。姓名,蕭道成。廟号は高帝。宋時代に武将として活躍し,次第に勢力を得た。宋末に対立者の沈攸之 (しんゆうし) を倒し,宋の皇帝 (順帝) から位を譲り受け,斉王朝を建てた。即位後,戸籍僞濫の改訂に努力した。

太祖[金]
たいそ[きん]

「ワンヤンアクダ(完顔阿骨打)」のページをご覧ください。


太祖[元]
たいそ[げん]

「チンギス・ハン(成吉思汗)」のページをご覧ください。


太祖[後唐]
たいそ[こうとう]

李克用」のページをご覧ください。


太祖[呉]
たいそ[ご]

楊行密」のページをご覧ください。


太祖[清]
たいそ[しん]

「ヌルハチ(奴児哈赤)」のページをご覧ください。


太祖[朝鮮王朝]
たいそ[ちょうせんおうちょう]

李成桂」のページをご覧ください。


太祖[明]
たいそ[みん]

洪武帝」のページをご覧ください。


太祖[遼]
たいそ[りょう]

耶律阿保機」のページをご覧ください。


太祖[黎朝]
たいそ[れいちょう]

黎利」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディア 「太祖」の意味・わかりやすい解説

太祖【たいそ】

中国・朝鮮で王朝の創始者に多く贈る諡(おくりな)。→曹操(魏)/阿骨打(あくだ)(金)/洪武(こうぶ)帝(明)/朱全忠(後梁)/チンギス・ハーン(元)/ヌルハチ(清)/耶律阿保機(やりつあぼき)(遼)/王建(高麗)/李成桂(李朝)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太祖」の意味・わかりやすい解説

太祖
たいそ

中国前近代の廟号(びょうごう)の一つ。始祖の意であり、創業の君主を称する。北宋(ほくそう)の趙匡胤(ちょうきょういん)、明(みん)の朱元璋(しゅげんしょう)らが有名。かならずしも王朝の初代に限らず、たとえば三国魏(ぎ)は曹操(そうそう)を太祖にあてている。

[尾形 勇]


太祖(元)
たいそ

チンギス・ハン


太祖(遼)
たいそ

耶律阿保機


太祖(清)
たいそ

ヌルハチ


太祖(宋)
たいそ

趙匡胤


太祖(李朝)
たいそ

李成桂


太祖(明)
たいそ

朱元璋


太祖(金)
たいそ

アクダ


太祖(後梁)
たいそ

朱全忠


太祖(高麗)
たいそ

王建


太祖(黎朝)
たいそ

黎利

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旺文社世界史事典 三訂版 「太祖」の解説

太祖(遼)
たいそ

耶律 阿保機 (やりつあぼき)

太祖(宋)
たいそ

趙 匡胤 (ちようきよういん)

太祖(梁)
たいそ

朱 全忠 (しゆぜんちゆう)

太祖(明)
たいそ

朱 元璋 (しゆげんしよう)

太祖(金)
たいそ

阿骨打 (アグダ)

太祖(モンゴル帝国)
たいそ

チンギス=ハン

太祖(清)
たいそ

ヌルハチ

太祖(李氏朝鮮)
たいそ

李 成桂

太祖(高麗)
たいそ

王建

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世界大百科事典(旧版)内の太祖の言及

【曹操】より

…中国,三国時代の事実上の創建者。太祖武帝と追尊される。父は後漢の有力な宦官曹騰(そうとう)の養子。…

【高帝】より

…在位479‐482年。姓名は蕭道成,廟号は太祖。本来は蘭陵郡の人で蕭何の24世孫と称する。…

【拓跋珪】より

…中国,北の初代皇帝,太祖道武帝。在位398‐409年。…

【朱全忠】より

…中国,五代後第1代の皇帝,太祖。在位907‐912年。…

【李克用】より

…中国で朱全忠と並ぶ唐末群雄の一人。五代後唐の建国者荘宗(李存勗(りそんきよく))の父で,後唐の太祖とよばれる。突厥(とつくつ)沙陀族の出身で,本姓は朱邪(しゆや)氏,父の朱邪赤心が唐朝より李姓を賜った。…

【耶律阿保機】より

…中国,契丹()の創設者。太祖。在位916‐926。…

【阿骨打】より

…中国,金朝の初代皇帝,太祖。在位1115‐23年。…

【洪武帝】より

…彼は中国史上に一世一元制を創始したので,その元号により洪武帝という。廟号により太祖ということも多い。彼は濠州(安徽省鳳陽県)の貧農の子に生まれ,若くして親,兄弟をなくし,一時僧侶となった。…

【ヌルハチ】より

…中国,清朝の初代皇帝。廟号は太祖。在位1616‐26年。…

【王建】より

…朝鮮,高麗王朝の創始者,太祖。在位918‐943年。…

【李成桂】より

…朝鮮,李朝初代の国王,太祖。在位1392‐98年。…

※「太祖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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