出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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中国、元(げん)朝最後の皇帝(在位1333~70)。名はトゴンテムル(妥懽帖木耳)。第8代明宗の長子。宮廷内の政争のため幼少から高麗(こうらい)(朝鮮)や広西などの辺境の地に移されていたが、14歳のとき広西から迎えられて帝位についた。漢文化に対する理解が深く、暗愚な皇帝ではなかったが、権臣のバヤン(伯顔)やトクト(脱脱)らが政権をほしいままにし、自らはチベット仏教(ラマ教)を狂信して逸楽にふけったため財政は破綻(はたん)し、国政は乱れた。そのうえ各地に天災、飢饉(ききん)が起こり、反元朝を唱える反乱が続発した。その一つ紅巾(こうきん)の乱のなかから出た朱元璋(しゅげんしょう)(明(みん)の太祖)の北伐軍に追われて上都(内モンゴル、ドロンノール北)に逃れ、応昌(おうしょう)で病死した。
[谷口規矩雄]
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