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順帝 ジュンテイ

デジタル大辞泉の解説

じゅん‐てい【順帝】

[115~144]中国、後漢の第8代皇帝。在位125~144。名は保。安帝の子。
[1320~1370]中国、最後(第10代)の皇帝。在位1333~1370。名はトゴン=テムル。権臣バヤンらに政権を任せたため国内が乱れ、太祖に都を追われて病死した。

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世界大百科事典 第2版の解説

じゅんてい【順帝 Shùn dì】

1320‐70
中国,元朝の第11代皇帝。本名トゴン・テムルToghon Temür。在位1333‐70年。順帝は明朝による諡号(しごう)。その治世,元朝は権臣の政争や紅巾の徒の反乱などによって混乱したが,彼は事態を打開する能力と実権をもたず,ついに1368年に明軍によって首都の大都を奪われ,漢地を放棄してモンゴル高原に逃れざるをえなくなった。そしてまもなく病没した。モンゴル人はこの北走の悲劇を〈順帝悲歌〉という詩によって表現し語り伝えてきた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

順帝
じゅんてい
(1320―1370)

中国、元(げん)朝最後の皇帝(在位1333~70)。名はトゴンテムル(妥懽帖木耳)。第8代明宗の長子。宮廷内の政争のため幼少から高麗(こうらい)(朝鮮)や広西などの辺境の地に移されていたが、14歳のとき広西から迎えられて帝位についた。漢文化に対する理解が深く、暗愚な皇帝ではなかったが、権臣のバヤン(伯顔)やトクト(脱脱)らが政権をほしいままにし、自らはチベット仏教(ラマ教)を狂信して逸楽にふけったため財政は破綻(はたん)し、国政は乱れた。そのうえ各地に天災、飢饉(ききん)が起こり、反元朝を唱える反乱が続発した。その一つ紅巾(こうきん)の乱のなかから出た朱元璋(しゅげんしょう)(明(みん)の太祖)の北伐軍に追われて上都(内モンゴル、ドロンノール北)に逃れ、応昌(おうしょう)で病死した。[谷口規矩雄]

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