日本歴史地名大系 「薄川」の解説 薄川すすきがわ 長野県:松本市薄川筑摩(ちくま)山脈の美ヶ原(うつくしがはら)高原台地と鉢伏(はちぶせ)山の間を流れ下り、松本市中条(なかじよう)で田(た)川に合流、北上して巾上(はばうえ)で女鳥羽(めとば)川に合し、白板(しらいた)で奈良井(ならい)川に合流する。初め急流で、深い峡谷を出てくるが、里山辺(さとやまべ)の薄の宮と林(はやし)城の間を流れる頃から、左右の段丘の幅を広めて西に傾斜した扇状地を展開する。古代の山家(やまむべ)郷の耕地をつくり、貞観九年(八六七)従五位下の位階を得た須々岐水(すすきがわ)神社(現松本市里山辺)が鎮座する。のち、山家一郷の総社となっている。延暦一八年(七九九)一〇月、信濃国の人、高麗帰化人の子孫外従六位下卦婁真老(けるのまおい)が須々岐の姓を得たことが「日本後紀」にあるが、この地の開発に関係があるとみられる。もとこの川は松本市惣社(そうざ)・清水方面に流れ、現在の女鳥羽川に入っていたらしく、地質・地名によってもそのことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by