日本歴史地名大系 「薄葉村」の解説 薄葉村うすばむら 栃木県:大田原市薄葉村[現在地名]大田原市薄葉北西から南東へ流れる箒(ほうき)川東岸台地縁に沿って集落がある。北は下石上(しもいしがみ)村、南は平沢(ひらさわ)村、南西対岸は沢(さわ)村(現矢板市)。北東は那須野ヶ原が広がる。北東へ塩原湯(しおばらゆ)道が通り、東の大田原宿と沢村を結ぶ日光北街道と交差、日光北街道沿いに集落がある。西の薄葉ヶ原は天正一三年(一五八五)那須資晴と宇都宮国綱が戦った古戦場。同年三月二六日の那須資晴充行状(平沼伊兵衛氏所蔵文書)によれば、前日の「薄葉原」の合戦で苦戦していた那須方に加勢して宇都宮方の大将を捕らえるなどの忠勤を賞し、興野弥左衛門に熊田(くまだ)村(現那須郡南那須町)永楽五〇〇疋の地が与えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報