朝日日本歴史人物事典 「那須資晴」の解説
那須資晴
生年:弘治2(1556)
戦国時代の武将。大膳大夫,修理大夫。資胤の子。家督継承して下野国(栃木県)烏山城主になって以後,周辺の強豪である宇都宮・佐竹・白河氏らと攻防を展開する。天正18(1590)年,豊臣秀吉による小田原攻めへの参陣を拒否したため,その罪を問われ,所領8万石を没収された。のちにその罪を許されて下野国福原(栃木県大田原市)に5000石を給せられた。関ケ原の戦では徳川方として参加したため,1000石を加増された。
(伊藤喜良)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報