…小田原城はこの年7月5日には開城したが,それまでに皆川広照は徳川家康の内応工作に乗り,手兵100余名を率いて出城していた。このほかで看過できないのは,下野国きっての名族小山秀綱(小山城主)と那須資晴(烏山城主)の動向であった。まず秀綱は小田原開城2日後に所領没収で故国を去り,資晴は那須衆から孤立して,那須家発祥の地佐良土への退隠を余儀なくされていた。…
…室町時代には足利氏に仕えたが,戦国争乱期には烏山城に拠って,那須郡,塩谷郡など下野東北部を支配下におさめ,支族福原氏と協力して近隣諸士の侵攻を防いだ。那須資晴(1556‐1609)のとき,勢力を最も強め,佐竹氏,宇都宮氏などと対立した。資晴は,豊臣秀吉の小田原攻めに遅参して領地を没収され,一時不振となったが,関ヶ原の戦後は,徳川氏に仕えて家名を挽回した。…
※「那須資晴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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