薙野山村(読み)なぎのやまむら

日本歴史地名大系 「薙野山村」の解説

薙野山村
なぎのやまむら

[現在地名]三瀬村大字藤原ふじはら字薙野・唐川からかわ池田いけだ牟田元むたもと

苔谷こけたに山の北にあたり、高瀬たかせ川の支流沿いに開けた村。唐川神社の鰐口に「奉掛唐河大明神御宝殿 建保元 癸酉九月吉日 肥陽国神幸荘薙野山氏子中」と刻銘されている。慶長絵図に「那議野」とある。牟田元には縄文時代早期の狂言平きようげんだいら遺跡がある。押型文を主とした土器片が出土、近くに住居跡らしい遺構がある。

薙野山はもと柳野やなぎの山とよばれており、藤原山の領主となった藤原内匠に前後して柳野山城城主となったのは藤原式部少輔兼基だとされる。当時は源為朝が九州で猛威を振るい、その禁圧が大宰府に命ぜられ、鳥羽院禁裏北面の武士が目付役として派遣された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む