薬師神谷村(読み)やくしがみやむら

日本歴史地名大系 「薬師神谷村」の解説

薬師神谷村
やくしがみやむら

[現在地名]勝山市野向のむき町薬師神谷

滝波たきなみ川右岸の谷村で、西は深谷ふかだに村、東は滝波川を隔てて栃神谷とちがみや村に接し、白山に至る街道に沿う。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に「薬師神谷村 牛谷 栃神谷」として高九一九・二一石が記される。正保郷帳によれば田方三〇六石余・畠方五七石余。慶長五年から福井藩領、寛永元年(一六二四)勝山藩領、正保元年(一六四四)幕府領で福井藩預地、貞享三年(一六八六)幕府直轄地、元禄五年(一六九二)以降美濃国郡上藩領となった。

越前地理指南」は、弁財天女夫岩と薬師堂の由来を伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む