朝日日本歴史人物事典 「藤井小八郎」の解説
藤井小八郎
江戸中期,人形浄瑠璃の女形人形遣い。主に上方で活躍。藤井小三郎の弟ともいう。享保末年から豊竹座に出演し,再演の「北条時頼記」,初演の「清和源氏十五段」の出遣いに小三郎と共演した。「和田合戦女舞鶴」(1736)では主人公の板額を,従来の2倍の大きさの女形人形にして遣い好評を得た。一人遣いから三人遣いへと移行する時期に活躍,「潤色江戸紫」の八百屋お七では一場面に両操法を見せたらしい。一時江戸に下り,豊竹座に戻って「義仲勲功記」(1756)大切に江戸土産の節事「乱菊枕慈童」の出遣いを披露した。長年豊竹座を支え,女形遣いの第一人者となったが,宝暦9(1759)年江戸へ移住,14年肥前座で一世一代の「乱菊枕慈童」を演じて引退した。<参考文献>日本演劇文献研究会編『浄瑠璃研究文献集成』,人形舞台研究会編『人形浄瑠璃舞台史』
(平田澄子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報