和田合戦女舞鶴(読み)わだかっせんおんなまいづる

改訂新版 世界大百科事典 「和田合戦女舞鶴」の意味・わかりやすい解説

和田合戦女舞鶴 (わだかっせんおんなまいづる)

人形浄瑠璃。時代物。5段。並木宗輔作。1736年(元文1)3月大坂豊竹座初演。和田義盛一族が北条方に攻められたとき,和田義盛の三男朝比奈三郎義秀という怪力豪傑がひとりで城門を破ったという俗説があり,それを同時代の女丈夫,板額(はんがく)にかえた作である。1721年(享保6)7月豊竹座の《呉越軍談比翼台(ひよくのうてな)》(紀海音作)中の女丈夫東施の影響があるといわれているが,本筋や世界は,1692年(元禄5)正月以前の作と推定される《悦賀楽平太(えがらのへいた)》(近松門左衛門作,大坂竹本座)に拠っている。荏柄の平太が実朝の妹,斎(いつき)姫を恋の恨みで討った事件にからんで,平太の従妹であることから夫阿佐利与市に離縁された板額が,夫のために男まさりの怪力で,長刀を小脇にかかえたまま門を押し破る二段目が随一見せ場である。これにより《板額門破り》の通称が生まれた。また,三段目は,平太の一子公暁(きんさと)丸が,実は将軍頼家の子であることを知った板額が,実子市若をわざと平太の子とあざむいて自害させ,公暁丸の身替りに立てる話で,〈市若切腹〉と呼ばれ,もう一つの山場になっている。歌舞伎に移されたのは,人形浄瑠璃初演の二ヵ月後の1736年5月京の都万太夫座南側芝居)が初めである。板額は〈女武道(おんなぶどう)〉を代表する役である。門破りで怪力を発揮する中にも,女方の心得を生かさねばならないという芸談が伝えられている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「和田合戦女舞鶴」の意味・わかりやすい解説

和田合戦女舞鶴
わだがっせんおんなまいづる

浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。五段。並木宗助(そうすけ)(後の宗輔(そうすけ))作。1736年(元文1)3月、大坂・豊竹(とよたけ)座初演。通称「板額(はんがく)」。和田義盛(よしもり)一族と北条氏との合戦を題材に、近松門左衛門の『悦賀楽平太(えがらのへいた)』をもとにして書かれた。藤沢入道の奸計(かんけい)によって起こされた和田・北条の確執を背景に、荏柄(えがら)の平太や阿佐利与市(あさりよいち)、妻板額らの活躍を描いた作。義盛の三男朝比奈(あさひな)三郎がひとりで城門を破ったという俗説を、勇婦に書き替えた二段目「板額門破り」は、実朝(さねとも)の妹斎(いつき)姫を恋の恨みで討った平太の従妹(いとこ)ということから与市に離縁された板額が、夫を助けて怪力で門を押し破る話。続く三段目の「市若(いちわか)切腹」は、板額が将軍頼家(よりいえ)の若君を助けるため、実子市若をわざと平太の子と欺いて切腹させて身替りにたてる場面で、ともに歌舞伎(かぶき)に移され、板額は女武道の代表的な役として今日に伝わっている。

[松井俊諭]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「和田合戦女舞鶴」の解説

和田合戦女舞鶴
わだがっせん おんなまいずる

歌舞伎・浄瑠璃の外題
作者
並木宗輔
補作者
並木五瓶(1代) ほか
初演
元文2.夏(大坂・あやめ座)

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