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藤原三守 ふじわらの みもり

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原三守 ふじわらの-みもり

785-840 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
延暦(えんりゃく)4年生まれ。南家藤原真作(まつくり)の5男。母は御井氏。嵯峨(さが)天皇に東宮時代からつかえ,信任された。弘仁(こうにん)7年(816)参議。従二位にすすみ,承和(じょうわ)5年右大臣。後山科大臣とよばれる。学問に通じ,「弘仁格式(きゃくしき)」編集にくわわった。承和7年7月7日死去。56歳。贈従一位。名は「ただもり」ともよむ。

藤原三守 ふじわらの-ただもり

ふじわらの-みもり

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原三守

没年:承和7.7.7(840.8.7)
生年:延暦4(785)
平安前期の公卿。阿波守従五位上真作と御井(名不詳)の子。「ただもり」とも。後山科大臣。皇太子時代から仕えた嵯峨天皇の寵を得て,弘仁14(823)年中納言となったが,嵯峨の譲位に従って辞職した。その決意の固さに周りの者が感涙したというが,これには妹の美都子が嵯峨の尚侍であり,妻の橘安万子が嵯峨皇后(橘嘉智子)の姉という立場が無関係ではなかろう。譲位後の上皇御所に仕えている。その後召し出されて大納言となり,承和5(838)年右大臣となった。温厚な人柄で,最澄,空海とも親交があったが,特に空海が綜芸種智院(京都市南区)を建立するに当たって九条邸を寄進している。娘の貞子は仁明天皇の後宮に入り,また別の娘は小野篁の妻。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の藤原三守の言及

【綜芸種智院】より

…創立の時期は,空海によって〈綜芸種智院式幷序〉の書かれた828年(天長5)ころと考えられる。同式幷序には,藤原三守の寄進した左京九条の宅・地によって設立したこと,仏教すなわち顕密の二教と儒教の計三教を教育の基本とすること,広く貧賤の子弟に門戸を開くことを明らかにし,さらに仏教および外典の教師を招くこと,教科目,教師と弟子への糧食の支給などを定めている。しかし,835年(承和2)に空海が没し,次いで藤原三守が没すると,綜芸種智院の維持は困難となり,空海の弟子実恵らは,同院を売却して丹波国大山荘を購入し,東寺の伝法料として施入した。…

※「藤原三守」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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