朝日日本歴史人物事典 「藤原三守」の解説
藤原三守
生年:延暦4(785)
平安前期の公卿。阿波守従五位上真作と御井(名不詳)の子。「ただもり」とも。後山科大臣。皇太子時代から仕えた嵯峨天皇の寵を得て,弘仁14(823)年中納言となったが,嵯峨の譲位に従って辞職した。その決意の固さに周りの者が感涙したというが,これには妹の美都子が嵯峨の尚侍であり,妻の橘安万子が嵯峨皇后(橘嘉智子)の姉という立場が無関係ではなかろう。譲位後の上皇御所に仕えている。その後召し出されて大納言となり,承和5(838)年右大臣となった。温厚な人柄で,最澄,空海とも親交があったが,特に空海が綜芸種智院(京都市南区)を建立するに当たって九条邸を寄進している。娘の貞子は仁明天皇の後宮に入り,また別の娘は小野篁の妻。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報