養老律令に対する補充法典として編纂された三代格式の一つ。日本における最初の格式で,桓武朝の803年(延暦22)ころ編纂開始。その後桓武天皇の死によって中絶の後,820年(弘仁11)に格10巻,式40巻として撰進されたが,その後も修訂事業が継続され,830年(天長7)に施行された。その編纂方針の大要は弘仁格式序(《類聚三代格》所収)によって知られるが,701年(大宝1)-819年の間の個々の格式を取捨選択して官司別に配列したものである。その後820年以降の新制をも盛り込みつつ改正作業が続けられ,840年(承和7)《改正遺漏紕繆格式》として頒行された。現在は格,式ともほとんど散逸してしまい,格については《弘仁格抄》と題する目録だけの抄本と《類聚三代格》に収められたもの,式については〈式部式下〉と〈主税式上〉の断簡および諸書に引かれた逸文が遺されているだけである。一般に《弘仁式》と題する写本30巻が伝えられているが,これは偽書である。
→律令格式
執筆者:虎尾 俊哉
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わが国最初の律令(りつりょう)を改変あるいは補う法典。三代格式の一つ。桓武(かんむ)天皇の晩年に編纂(へんさん)に着手し一度中断したが、嵯峨(さが)天皇の時代になって再開し、藤原冬嗣(ふゆつぐ)、藤原葛野麻呂(かどのまろ)、秋篠安人(あきしののやすひと)、藤原三守(みもり)、橘常主(たちばなのつねぬし)、興原敏久(おきはらのみにく)らが中心になって820年(弘仁11)4月にいったん完成した。格は、701年(大宝1)から819年(弘仁10)までの詔、勅、官奏、官符(かんぷ)などを各官司ごとに10巻にまとめ、式も、各官司ごとに、格に規定しなかった律令の施行細則的なものを条文化して40巻とした。弘仁年間(810~824)に編纂されたので弘仁格式というが、その後も修正が繰り返され、最終的に施行されたのは840年(承和7)のことである。完本は現存しないが、九条家本『延喜式(えんぎしき)』裏文書に式の一部と諸本に逸文がある。
[福井俊彦]
『虎尾俊哉著『延喜式』(1964・吉川弘文館)』▽『鎌田元一著「弘仁格式の撰進と施行について」(『古代国家の形成と展開』所収・1975・吉川弘文館)』
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