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早良親王 さわらしんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

早良親王
さわらしんのう

[生]天平勝宝2(750).京都
[没]延暦4(785).10.
光仁天皇第2皇子,桓武天皇の同母弟,母は贈皇太后高野新笠神護景雲2 (768) 年出家したが,宝亀1 (770) 年父光仁天皇即位により親王となり,天応1 (781) 年桓武天皇の即位と同時に皇太子となった。延暦4 (785) 年長岡京造営の推進者,藤原種継暗殺事件に連座して同年9月 28日皇太子を廃され,乙訓寺に幽閉され,次いで淡路に流される途中絶食して没した。藤原氏が権力を握るにいたる道程に起った一連の事件で,政争の渦に巻込まれた犠牲者である。事件後,桓武天皇の皇子安殿 (あて) 親王 (平城天皇) が皇太子となったが,高野新笠や藤原乙牟漏の死,悪疫の流行,皇太子の罹病など不吉なことが相次いだ。皇室や藤原氏はこれを親王のたたりとして恐れ,同 19年崇道天皇追号し,淡路から大和に移葬した。陵墓は奈良市八嶋町今里の八嶋陵。

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デジタル大辞泉の解説

さわら‐しんのう〔さはらシンワウ〕【早良親王】

[?~785]光仁天皇の第2皇子。兄桓武天皇の皇太子であったが、延暦4年(785)廃せられ、淡路へ配流途上死去。その(たた)りを恐れ、崇道(すどう)天皇と追号された。

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百科事典マイペディアの解説

早良親王【さわらしんのう】

光仁(こうにん)天皇の皇子,母は高野新笠(たかののにいがさ)。桓武天皇の同母弟。781年桓武即位とともに皇太子となる。785年藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に連座し,淡路(あわじ)へ流される途中絶食して死去した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

早良親王 さわらしんのう

750-785 奈良時代,光仁(こうにん)天皇の皇子。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)2年生まれ。母は高野新笠(にいがさ)。天応元年兄桓武(かんむ)天皇の即位で皇太子となったが,藤原種継暗殺事件とのかかわりで廃され,淡路(あわじ)(兵庫県)へ流される途中,延暦(えんりゃく)4年10月没した。36歳。のち怨霊(おんりょう)をおそれた天皇は,延暦19年崇道(すどう)天皇の号をおくった。

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朝日日本歴史人物事典の解説

早良親王

没年:延暦4(785)
生年:天平勝宝2(750)
奈良時代の皇太子。光仁天皇と高野新笠の子。桓武天皇の12歳年下の同母弟。天応1(781)年桓武の即位に伴い皇太子になった。延暦4(785)年9月長岡京で桓武の寵臣で造宮長官の藤原種継が射殺されその犯人として逮捕された大伴継人,佐伯高成らが早良親王の春宮大夫であった大伴家持(事件の20日前に死去)の関与と,早良を天皇に擁立する計画のあったことを自白。皇太子を廃されて乙訓寺(長岡京市)に幽閉された。十余日間飲食を断ち淡路国(兵庫県)に送られる途中,高瀬橋(守口市高瀬町付近)あたりで死去した。屍はそのまま淡路まで運ばれ葬られた。事件は,種継暗殺を利用して早良に代わり安殿親王(桓武天皇の皇子。のちの平城天皇)を皇太子の地位につけようとする桓武周辺の企図があったものと考えられている。のち皇族や貴族を病気や災害が襲い,親王の祟りによるとされて,桓武は崇道天皇の号を追贈したが,長く平安貴族を悩ます怨霊のひとつとされた。<参考文献>北山茂夫『日本古代政治史の研究』

(増渕徹)

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世界大百科事典 第2版の解説

さわらしんのう【早良親王】

750?‐785(天平勝宝2?‐延暦4)
光仁天皇の皇子。母は高野新笠で,桓武天皇の同母弟。781年(天応1)に兄山部親王が桓武天皇として即位するにともない,皇太子となる。これは光仁天皇の意図によるものともいわれ,また時の権勢家藤原種継と対立していたとも伝えられている。785年(延暦4)9月に種継暗殺事件がおこると,犯人として捕らえられた大伴継人,佐伯高成らが,大伴家持のことばとして,種継を除く計画を早良親王にはかって計画し,実行したと自白したため,内裏から東宮にもどったところを捕らえられ,乙訓寺に幽閉された。

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大辞林 第三版の解説

さわらしんのう【早良親王】

750?~785) 光仁天皇の第二皇子。781年兄桓武天皇の即位に伴って皇太子となる。藤原種継暗殺に連座したとして、淡路に流される途中絶食して絶命。怨霊を恐れて崇道すどう天皇と追号。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

早良親王
さわらしんのう
(?―785)

奈良時代末から平安時代初期の皇太子。父は光仁(こうにん)天皇、母は贈皇太后高野新笠(たかののにいがさ)、同腹の兄弟に桓武(かんむ)天皇、能登(のと)内親王がある。母は百済(くだら)系の卑母であったので、若いとき奈良の寺に入れられた。藤原百川(ももかわ)らの努力により光仁天皇が即位すると、親王となり、兄が桓武天皇となると、父の希望により皇太子にたてられた。天皇は大事は自分で決したが、平常の事務は皇太子と百川の甥の藤原種継(たねつぐ)にゆだねた。長岡造宮のことが進むと、皇太子と種継の仲がしだいに悪くなっていった。皇太子の役所の長官大伴家持(おおとものやかもち)が死ぬと、大伴氏の若人や皇太子の役所に仕える人々が、785年(延暦4)9月種継を暗殺した。天皇は大いに怒り皇太子を廃し、乙訓(おとくに)寺に幽閉し、ついで淡路(あわじ)へ流した。廃太子は自ら飲食を絶って高瀬橋(大阪府門真(かどま)市付近)で絶命した。のちその怨霊(おんりょう)を恐れた天皇は廃太子に崇道(すどう)天皇の号を贈り、奈良南方の八嶋(やしま)陵(奈良市八島町)に改葬した。上御霊(かみごりょう)神社(京都市)に祀(まつ)る。[中山修一]

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世界大百科事典内の早良親王の言及

【桓武天皇】より

… 在位の間における最大の事業は平城京からの遷都と蝦夷の征討である。前者はまず784年(延暦3)6月長岡京造営工事をはじめ,11月遷都を行ったが,翌年この事業を推進していた藤原種継が暗殺され,しかも皇太弟早良(さわら)親王が連座して廃され,淡路国へ流される途中死ぬという事件によって,計画の進行がいちじるしく妨げられた。そこで天皇は793年山背国葛野郡宇太村の地を選んで造営工事をはじめ,翌年11月これを〈平安京〉と名付け遷都した。…

【祟り】より

…御霊とは政治的に非業の死をとげた人々の怨霊をいい,それが疫病や地震・火災などをひきおこす原因とされたのである。このような御霊信仰の先例はすでに奈良時代にもみられ,僧玄昉(げんぼう)の死が反乱者である藤原広嗣の霊の祟りによるとされたが,平安時代に入ってからはとくに権力闘争に敗れた崇道(すどう)天皇(早良親王),伊予親王,橘逸勢(たちばなのはやなり)などの怨霊が御霊として恐れられ,863年(貞観5)にはその怒りと怨みを鎮めるための御霊会(ごりようえ)が神泉苑で行われた。また承和年間(834‐848)以降は物の怪の現象が文献に頻出するようになるが,これはやがて《源氏物語》などのような文学作品,《栄華物語》のような史書のなかでも大きくとりあげられるようになった。…

【長岡京】より

…その原因として,怨霊によるものとする説と洪水によるものとする説の二つがある。怨霊によるものとする説は,785年,長岡京の造営を中心的に進めた造営長官藤原種継が暗殺され,その容疑者として皇太子早良(さわら)親王が捕らえられ,無実を主張して憤死した事件以後,桓武天皇の周辺に不吉なことが相次いで起こり,その原因が早良親王の怨霊によるものと信じられたためであるとするものである。洪水によるものとする説は,長岡京が都としての立地が悪く,たび重なる洪水,とくに792年の長岡京左京部分が冠水した大洪水により,桓武天皇に長岡京を捨てる決心をさせたというものである。…

【藤原種継】より

…決定後半年で遷都した新京はまだ宮の中枢部分も未完成で,連日昼夜兼行で造作がすすめられ,桓武天皇が平城旧京に行幸中も留守官としてその指揮にあたっていたが,785年9月23日夜に射殺された。この事件は大伴・佐伯両氏が種継を除かんとして,大伴継人,竹良,佐伯高成らが共謀した事件と断定され,直前に死去した大伴家持も連座して官位等を奪われ,皇太子早良(さわら)親王も廃され,皇子は淡路へ移送の途次死亡した。この種継暗殺事件を契機に藤原氏の太政官に占める地位が低下し,桓武天皇の権力が強化されたが,天皇は早良親王の怨霊に終生悩まされることとなる。…

※「早良親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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