藤原全子(読み)ふじわらのぜんし

朝日日本歴史人物事典 「藤原全子」の解説

藤原全子

没年:久安6.11.5(1150.11.25)
生年:康平3(1060)
平安後期の貴族の女性。藤原俊家の娘。藤原師通の妻,忠実の母。承保3(1076)年師通を婿とし,承暦2(1078)年に忠実を生んだが,数年後離別。しかし子忠実との関係は緊密で,天永3(1112)年,摂関の母が無位であるのは未曾有として従三位に叙される。永久3(1115)年従一位。その後忠実の宇治籠居に伴い宇治に移る。大治1(1126)年出家。久安6(1150)年に准三后となり,同年宇治で没する。翌年,摂関家の墓地である木幡に改葬された。『台記』には,師通に去られた全子が亡父の画像に報怨を祈願した結果,師通が早世したという忠実の談話が記されている。<参考文献>高群逸枝『平安鎌倉室町家族の研究

(中込律子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原全子」の解説

藤原全子 ふじわらの-ぜんし

1060-1150 平安時代後期の女性。
康平3年生まれ。藤原俊家の娘。藤原師通(もろみち)との間に忠実(ただざね)を生むが,まもなく離別。天永3年(1112)忠実が摂政太政大臣となるにともない無位より従三位とされ,のち従一位,准三宮(じゅさんぐう)。一条殿とよばれる。久安6年11月5日死去。91歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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