インド数学(読み)インドすうがく

改訂新版 世界大百科事典 「インド数学」の意味・わかりやすい解説

インド数学 (インドすうがく)

インダス文明期の数学については何一つ直接的資料が発掘されていないが,その都市建築に見られる高度の計画性は,ある程度の測量技術の発達を物語る。

 ベーダ期の数学知識は,《シュルバ・スートラŚulbasūtra》を通じて不完全ながら知ることができる。これはベーダのシュラウタ祭式に必要な祭場を設営するための規則を集めた一群の綱要書であり,その編纂年代は古いもので前6世紀,新しいもので後2世紀とされるが,個々の規則は祭式の実現に欠かせないものであるから,そこに見られる数学知識も大半はシュラウタ祭式の歴史と同じ古さを持つと考えられる。主として,ロープ(シュルバ)と杭を用いた三角形,正方形長方形台形の作図法や,各種煉瓦の作り方が中心であるが,数学史の観点からは,いわゆるピタゴラス定理,\(\sqrt{2}\)の近似値,円・正方形・長方形間の等面積変換規則などを含むのが興味深い。

 古典期の数学知識は,主としてガニタ(算学)と呼ばれる分野に結実した。伝統的に,ガニタはホーラーホロスコープを用いる占星術)およびサンヒター(吉凶占いの集成)と共に星学(ジョーティヒシャーストラ)を形成する。他方,ガニタは狭い意味でのガニタ(数学)と数理天文(暦法)学に分かれるが,シッダーンタと呼ばれるおもだった天文学書は何章かを数学にあてるのが普通である。天文学書中の数学の章は必ずしも天文学に必要な数学を供給するためのものではなく,内容的には純粋な数学書とあまり変わらない。インド天文学にはメソポタミアやギリシアの天文学の影響が明瞭に認められるが,数学に関してはこれまでのところ決定的影響関係は見つかっていない。ただしインドの三角法の出発点はギリシアにあるとされている。しかし三角法はインドでも天文学の文脈で扱われるのが普通であり,伝統的数学(狭義のガニタ)の中に吸収されることはほとんどなかった。その伝統的数学の性格は,一口にいえば,計算によって問題の答を得るという点にあり,数学的命題を論理的に体系化しようという意図はきわめて少ないか無に等しい。しかしこの性格はインド数学の特徴とはいえない。古代メソポタミア,エジプト,中国の数学,それに,ユークリッドとその影響の強く認められるものを除けば,ギリシアの数学さえも,みなこの性格を共有する。ユークリッドの《ストイケイア》の影響がインドではっきり認められるのは,カマラーカラの天文学書(1658)が最も早く,またサンスクリットへの翻訳はジャガンナータの《レーカーガニタ(線の数学)》(1730年代)が最初と思われる。

 狭義のガニタに属する現存最古の文献は,アールヤバタ著《アールヤバティーヤ》(499)の一章をなす〈ガニタパーダ〉である。これは冒頭の帰命偈とそれに続く32詩節から成り,十進法位取り表記における各位の名称(1詩節),平方,開平方,立方,開立方の基本演算(4詩節),図形に関する数学(17詩節),数量に関する数学(11詩節)という構成になっている。最後の2詩節は二元一次不定方程式の解法(クッタカと呼ばれる)を与える。ブラフマグプタ著《ブラーフマスプタ・シッダーンタ(ブラーフマ学派の正しいシッダーンタ)》(628)の第12章〈ガニタ〉では,四則演算に始まる20の基本演算と8種の実用算が扱われている。8種の実用算とは,混合,数列,平面図形,堀,積重ね,鋸,堆積物,影に関するものである。また同書第18章〈クッタカ〉では,ゼロ,負数,無理数などの演算規則のほか,一元一次,一元二次の方程式や多元連立方程式,また二元一次,二元二次の不定方程式などが扱われる。この二つの章で扱われた内容がそれぞれ,これよりやや遅れておそらく8世紀ころ,狭義のガニタの二大分野パーティー(語源は〈書板〉を意味するパッタないしパタか?)およびビージャガニタ(種子数学)へ発展する。パーティーは,パターン化された種々の問題に対する完全に機械的な解法手続の集成であり,ビージャガニタは,未知数に文字を用いる方程式論である。シュリーダラŚrīdhara(8世紀ころ),バースカラ2世(1114年生れ),ナーラーヤナNārāyaṇa(14世紀)などはその両方に関する書を著した。例えばバースカラ2世の有名な《リーラーバティー》(1150)はパーティーの書であるが,彼にはまた《ビージャガニタ》(1150)という書もある。このように,インド数学はもっぱら代数学を中心として発達した。特筆すべきものとしては,前出の二元一次不定方程式の解法(クッタカ)や,Nx2+1=y2の形の二次不定方程式の解法がある。後者はブラフマグプタによってほぼ解かれていたが,完全な解法(円環法と呼ばれる)が現れるのはジャヤデーバJayadeva(11世紀ころ)の書においてである。このほか,順列・組合せの理論もインド人の列挙癖と相まって独自の発達をとげた。ハラーユダ(10世紀)によれば,韻律学書《チャンダハスートラ》(前2世紀ころ)の中に既にいわゆるパスカルの三角形の作り方が述べられている。三角法におけるインド人の貢献としては,まずギリシアの弦の表を今日われわれが用いるような〈半弦の表〉に変えたことがあげられるが,さらに16世紀ころまでには,円周率や正弦・余弦関数の級数展開も得ていた。

 最後に,今日世界中で用いられる記数法に対するインド人の貢献も忘れてはなるまい。もちろん,十進法も位取り記数法も,また空位を示す記号(ゼロ)も,それ自体はインド人の独創ではないが,それらを結びつけて完ぺきな十進法位取り記数法を作りあげた点に彼らの功績がある。この記数法が彼らの使っていた数字と共にアラビアを経て中世ヨーロッパへもたらされた。このためヨーロッパではその数字をアラビア数字と呼ぶようになったが,アラビア人たちはそれをインド数字と呼んでいた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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