ふじわら‐の‐もろみち【藤原師通】
- 平安末期の公卿。関白。通称、後二条関白。父は師実。母は源師房の娘麗子。嘉保元年(一〇九四)関白となる。資性剛直で、白河法皇の院政を非難し、僧兵の横暴を抑え有能の士を挙用して政治を引き締めた。和歌・漢詩をよくし、大江匡房に学んだ。日記「後二条師通記」がある。康平五~康和元年(一〇六二‐九九)
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藤原師通
没年:康和1.6.28(1099.7.18)
生年:康平5.9.11(1062.10.16)
平安時代の公卿。号は後二条殿。摂政・関白師実と源師房の娘従一位麗子の子。承暦1(1077)年参議。権中納言,権大納言を経て永保3(1083)年内大臣。嘉保1(1094)年父から関白を譲られる。剛直な性格で,白河上皇が受領を近臣として重用し,政治を専断することに批判的で,「おりいの帝の門に車たつようやはある」(『今鏡』)と述べたとされる。また同2年の延暦寺衆徒の強訴に毅然とした態度で対応したため,死後山王の祟りによるとのうわさが流れた。瘡病により死去。『本朝世紀』は師通が関白であった時代について,「嘉保・永長の間,天下粛然」と評している。その死後,白河上皇の院政が本格化し,摂関家の地位が低下した。師通は学問を好み,当時有数の学者である大江匡房,惟宗孝言に師事して漢籍や詩文を学んだ。あるいは祖先の藤原師輔の『九暦』を始めとする日記や儀式書を読み公事を習った。そうした儀式の作法をまとめるために大江匡房に命じて『江家次第』を作らせたとされる。日記『後二条師通記』には,何十点にものぼる書物を閲覧や書写していることが記されており,その勉強ぶりの一端がうかがえる。また容姿が麗しく,漢詩・和歌・音楽・書道・蹴鞠など多方面に優れていた。<参考文献>高群逸枝『平安鎌倉室町家族の研究』
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藤原師通
ふじわらのもろみち
(1062―1099)
平安後期の公卿(くぎょう)。摂政(せっしょう)師実(もろざね)の長男。母は右大臣源師房(もろふさ)の女(むすめ)麗子。1077年(承暦1)参議、83年(永保3)内大臣となり、94年(嘉保1)父から関白、氏長者(うじのちょうじゃ)を譲られる。96年(永長1)従(じゅ)一位となるが、承徳(じょうとく)3年6月28日急病で没し嵯峨野(さがの)に葬られた。剛直な性格で、堀河(ほりかわ)天皇を助けて白河(しらかわ)法皇の専制政治に対抗し、また僧兵の強訴(ごうそ)にも強硬に対応した。学問を好んで大江匡房(まさふさ)、惟宗(これむね)孝言らに学び、記録・儀式に関心が深く、匡房に『江家次第(ごうけしだい)』をまとめさせ、音楽、書にも秀(すぐ)れていた。二条亭に住み後二条(ごにじょう)殿とよばれた。日記『後二条師通記』(『大日本古記録』全三巻・所収)がある。
[吉田早苗]
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藤原師通 (ふじわらのもろみち)
生没年:1062-99(康平5-康和1)
平安後期の廷臣。父は関白師実,母は源師房女。1072年(延久4)元服,77年(承暦1)には公卿に列し,94年(嘉保1)関白・氏長者となった。堀河天皇を助け,白河院政に批判的で摂関家の権威を保った。95年神輿を奉じた延暦寺僧徒の強訴を武力で撃退させた。4年後父に先立って没したが,山王のたたりといわれた。学芸に優れ,日記《後二条師通記》は貴重な史料。
執筆者:黒板 伸夫
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藤原師通
ふじわらのもろみち
[生]康平5(1062).9.11. 京都
[没]康和1(1099).6.28. 京都
平安時代後期の廷臣。別称,後二条殿。師実の子。母は右大臣源師房の娘麗子。永保3 (1083) 年内大臣,寛治8 (94) 年父の跡を継いで関白,氏長者となった。人材の登用に努め,白河法皇の院政を非難した。学問を好み,多芸多能であった。大江匡房に命じて『江家次第 (ごうけしだい) 』を撰述。日記『後二条師通記』がある。
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藤原師通 ふじわらの-もろみち
1062-1099 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
康平5年9月11日生まれ。藤原師実の長男。母は源麗子。承暦(じょうりゃく)元年(1077)参議。内大臣にすすみ,寛治(かんじ)8年(1094)関白,氏長者。従一位にいたる。白河院政に批判的で,僧兵の強訴(ごうそ)にも強硬に対応。学問をこのみ,詩歌,音楽などに通じた。承徳(じょうとく)3年6月28日死去。38歳。号は後二条。日記に「後二条師通記」。
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藤原師通 (ふじわらのもろみち)
生年月日:1062年9月11日
平安時代後期の公卿
1099年没
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世界大百科事典(旧版)内の藤原師通の言及
【後二条師通記】より
…[藤原師通]の日記。《後二条殿記》《後二条関白記》《師通公記》などとも称され,内大臣に任じられた1083年(永保3)より,没した99年(康和1)に及ぶ(うち5年分欠)。…
※「藤原師通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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