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平安後期の公卿(くぎょう)。摂政(せっしょう)師実(もろざね)の長男。母は右大臣源師房(もろふさ)の女(むすめ)麗子。1077年(承暦1)参議、83年(永保3)内大臣となり、94年(嘉保1)父から関白、氏長者(うじのちょうじゃ)を譲られる。96年(永長1)従(じゅ)一位となるが、承徳(じょうとく)3年6月28日急病で没し嵯峨野(さがの)に葬られた。剛直な性格で、堀河(ほりかわ)天皇を助けて白河(しらかわ)法皇の専制政治に対抗し、また僧兵の強訴(ごうそ)にも強硬に対応した。学問を好んで大江匡房(まさふさ)、惟宗(これむね)孝言らに学び、記録・儀式に関心が深く、匡房に『江家次第(ごうけしだい)』をまとめさせ、音楽、書にも秀(すぐ)れていた。二条亭に住み後二条(ごにじょう)殿とよばれた。日記『後二条師通記』(『大日本古記録』全三巻・所収)がある。
[吉田早苗]
平安後期の廷臣。父は関白師実,母は源師房女。1072年(延久4)元服,77年(承暦1)には公卿に列し,94年(嘉保1)関白・氏長者となった。堀河天皇を助け,白河院政に批判的で摂関家の権威を保った。95年神輿を奉じた延暦寺僧徒の強訴を武力で撃退させた。4年後父に先立って没したが,山王のたたりといわれた。学芸に優れ,日記《後二条師通記》は貴重な史料。
執筆者:黒板 伸夫
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…藤原師通の日記。《後二条殿記》《後二条関白記》《師通公記》などとも称され,内大臣に任じられた1083年(永保3)より,没した99年(康和1)に及ぶ(うち5年分欠)。…
※「藤原師通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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