藤原国経(読み)ふじわらのくにつね

朝日日本歴史人物事典 「藤原国経」の解説

藤原国経

没年延喜8.6.29(908.7.29)
生年:天長5(828)
平安初期の公卿正三位,贈太政大臣長良と難波淵子の子。元慶1(877)年甥の陽成天皇即位にともない蔵人頭となり,5年後に参議。この任にあるとき対馬新羅から賊が来襲し,その討滅のために大宰府(太宰府市)の長官に任命された。参議13年,中納言9年の労を積み,延喜2(902)年大納言に昇進,81歳という長寿を保った。妻に在原棟梁の娘がおり,年の離れた美しいこの女性の評判を耳にした従兄弟の子に当たる左大臣時平が奪い妻にしたという話が『今昔物語集』にみえる。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原国経」の解説

藤原国経 ふじわらの-くにつね

828-908 平安時代前期-中期の公卿(くぎょう)。
天長5年生まれ。北家藤原長良(ながら)の長男。藤原基経(もとつね)の異母兄。陽成(ようぜい)天皇の伯父。蔵人頭(くろうどのとう)をつとめ,元慶(がんぎょう)6年(882)参議となり,のち大納言,正三位にすすむ。甥(おい)の左大臣藤原時平(ときひら)に若い妻をうばわれた話が「今昔(こんじゃく)物語集」にみえ,歌が「古今和歌集」に1首のる。延喜(えんぎ)8年6月29日死去。81歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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