坂上是則(読み)さかのうえのこれのり

朝日日本歴史人物事典「坂上是則」の解説

坂上是則

生年:生没年不詳
平安時代の歌人坂上田村麻呂子孫,好蔭の子。大和権少掾,少監物,中監物,少内記,大内記,加賀介などを歴任。従五位下に至る。延喜1(901)年の紀師匠曲水宴和歌や同5年の右大将定国四十賀屏風歌に紀貫之,凡河内躬恒らと共に詠進して歌壇にデビュー。『古今集』には新進歌人として8首の入集をみた。その後も,同7年の『大井河行幸和歌』や同13年の亭子院歌合に出詠するなど活躍。家集に『是則集』がある。のちに三十六歌仙に選ばれるなど後世の評価も高く代表作「あさぼらけ有明の月とみるまでによしのの里にふれる白雪」が百人一首にとられている。<参考文献>徳原茂実「是則」(『一冊の講座古今和歌集』)

(田中登)

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日本大百科全書(ニッポニカ)「坂上是則」の解説

坂上是則
さかのうえのこれのり

生没年不詳。平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。908年(延喜8)大和権少掾(やまとごんのしょうじょう)、以後、大和権掾、少監物(しょうけんもつ)、少内記、大内記を経て、924年(延長2)従(じゅ)五位下加賀介(かがのすけ)。907年の宇多(うだ)法皇大井川御幸のおりには9題9首を献じ、913年の「亭子院歌合(ていじいんのうたあわせ)」に出詠。『古今集』以下に39首の歌を残す。歌風は理知的ななかに、なお実際の自然を離れぬ余情がある。

 朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪
[菊地靖彦]


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「坂上是則」の解説

坂上是則 さかのうえの-これのり

?-930 平安時代中期の官吏,歌人。
坂上好蔭(よしかげ)の子。坂上望城(もちき)の父。大和権少掾(ごんのしょうじょう),大内記などをへて,延長2年加賀介。三十六歌仙のひとり。「古今和歌集」などの勅撰集に約40首おさめられている。蹴鞠(けまり)の名手でもあった。延長8年死去。家集に「是則集」。
【格言など】朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪(「小倉百人一首」)

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精選版 日本国語大辞典「坂上是則」の解説

さかのうえ‐の‐これのり【坂上是則】

平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。田村麻呂の子で、望城(もちき)の父。従五位下加賀介に至る。宇多院の大井川行幸に供奉。「亭子院歌合」などに出詠。蹴鞠の名手でもあった。歌は「古今和歌集」以下に見える。家集に「是則集」がある。生没年未詳。

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世界大百科事典 第2版「坂上是則」の解説

さかのうえのこれのり【坂上是則】

平安前期の歌人。生没年不詳。三十六歌仙の一人。《西宮記(さいきゆうき)》によれば蹴鞠の名人。坂上田村麻呂の子孫で《後撰集》撰者望城(もちき)の父。908年(延喜8)大和権少掾に任ぜられ,のち924年(延長2)従五位下加賀介に至る。《古今集》以下の勅撰集に35首,家集に《是則集》がある。908年以後の地方官勤務が作風に影響しているらしく,大和地方の自然を確実に観察してうたった〈佐保山のははその色はうすけれど秋は深くもなりにけるかな〉(《古今集》巻五)などの秀歌がある。

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