朝日日本歴史人物事典 「藤原定経」の解説
藤原定経
生年:保元3(1158)
鎌倉前期の公卿。権大納言経房の子,母は平範家の娘。三事兼帯(五位蔵人の職にあって,衛門佐,弁官の2官を帯すること),弁を去り蔵人頭を経て建久8(1197)年参議となった。正治1(1199)年従三位に叙されたが天王寺で出家,父に義絶される。法名蓮位。日記『西記』がある。『千載集』以下勅撰集に4首入集。『明月記』で藤原定家は,弁を去って近衛将を超えた始まりと難じている。
(今村みゑ子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報