改訂新版 世界大百科事典 「藤原経房」の意味・わかりやすい解説
藤原経房 (ふじわらのつねふさ)
生没年:1143-1200(康治2-正治2)
平安末~鎌倉初期の公卿。権右中弁藤原光房の男。その居所により吉田を称した。1150年(久安6)摂関家の家司から六位蔵人に出身し,伊豆,安房の守を歴任,ついで蔵人,左衛門権佐,左少弁を兼帯し,さらに権右中弁,右中弁,内蔵頭,左中弁,蔵人頭,右大弁を経て,81年(養和1)参議に昇り,左大弁を兼ねた。この官歴は経房が有能な実務官僚であったことをよく物語っており,その後も累進して正二位権大納言に至った。その間,後白河上皇の信任も厚く,さらに鎌倉に幕府を開いた源頼朝も経房を深く信頼して朝幕間の斡旋を委任し,議奏公卿に推挙した。1200年2月病危急により辞官出家し,まもなく没した。藤原定家は〈天下の古老〉〈末代の重臣〉とたたえてその死を悼んだ。その日記を《吉記(きつき)》といい,内容豊かな名記である。
執筆者:橋本 義彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報