藤原幸子(読み)ふじわらの こうし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原幸子」の解説

藤原幸子 ふじわらの-こうし

1112-1155 平安時代後期の女性。
天永3年生まれ。徳大寺実能(さねよし)の娘。母は葉室顕隆(あきたか)の娘。藤原頼長正妻。子はなく,弟公能(きんよし)の娘多子(のちの近衛(このえ)天皇皇后)を養女とした。従三位。久寿2年6月1日死去。44歳。

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朝日日本歴史人物事典 「藤原幸子」の解説

藤原幸子

生年生没年不詳
平安後期,藤原頼長の北政所藤原実能藤原顕隆の娘の子。二条天皇の皇后育子の姉。待賢門院璋子は父実能の妹で叔母に当たる。頼長は男女いずれに対しても好色で知られるが,幸子は嫡室として大切にされたようである。子供はいない。婚儀は頼長14歳,幸子22歳の年。<参考文献>『台記

(楢原潤子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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