朝日日本歴史人物事典 「徳大寺実能」の解説
徳大寺実能
生年:永長1(1096)
平安末期の公卿。権大納言藤原公実と但馬守藤原隆方の娘(光子)の子。藤原実能とも。白河・鳥羽・崇徳各天皇の外戚である家柄のうえ,母が堀河・鳥羽両天皇の乳母であったこともあって,9歳で叙爵,少将・中将を経て保安2(1121)年に従三位となり,摂関家の子弟以外では例のない三位中将となるなどの昇進をかさね,翌年権中納言。のち検非違使別当,近衛大将などを経て,従一位左大臣に至る。衣笠山の西南に別荘を構え徳大寺を建てたことから徳大寺左大臣と号した(清華家のひとつである徳大寺家の祖)。また大炊御門高倉に邸宅のあったことから大炊御門左大臣とも称した。長承2(1133)年娘幸子の婿に摂関家の藤原頼長を配したことから,頼長らの推挙を受け近衛大将,さらに内大臣と代々絶えてなかった地位に昇ったが,頼長失脚と同時に離反するという現実的な行動を取った。和歌に巧みで『金葉集』以下の勅撰集に17首入集する。<著作>『実能記』
(渡辺晴美)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報