日本歴史地名大系 「藤坂庄」の解説
藤坂庄
ふじさかのしよう
現篠山市内にあった中世の庄園で、篠山川支流藤坂川流域の藤坂の一帯に比定される。嘉元三年(一三〇五)四月頃のものと推定される摂渡庄目録(九条家文書)に氏院領として丹波国に「豊藤藤坂庄 田七町九段四十代所当仮令十六七石歟」とあり、暦応五年(一三四二)正月の目録(同文書)では面積は同じながら「所当十六石許歟」とあり、また「阿波左衛門尉致秀拝領之、但上表云々」とみえる。鎌倉期の某書状(民経記寛喜三年五月紙背文書)には「草山庄役夫工米事、随被相催、毎度加下知候之処、五箇庄一同無済例之由令申候」「就中、如此公事、五箇庄内菟原・竈谷、為時宜之
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報