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藤堂高猷 とうどう たかゆき

美術人名辞典の解説

藤堂高猷

幕末・明治の大名・伊勢国津藩主。高兌の子。幼名は寿千代、字は道郷、号に観月楼・絢堯斎等。従四位下左近衛少将、和泉守となる。郷校修文館を開設し、読書・習字・算術を庶民に教授させた。明治28年(1895)歿、83才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤堂高猷 とうどう-たかゆき

1813-1895 江戸時代後期の大名。
文化10年2月9日生まれ。藤堂高兌(たかさわ)の子。文政8年伊勢(いせ)津藩主藤堂家11代となる。海防のため大砲の鋳造,台場の築造にあたるいっぽう,安政5年町人のため郷校修文館を開設。公武合体論者だったが,戊辰(ぼしん)戦争では津藩は新政府軍に参加した。明治28年2月9日死去。83歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤堂高猷

没年:明治28.2.12(1895)
生年:文化10.2.9(1813.3.11)
幕末の伊勢国(三重県)津藩主。江戸生まれ。父高兌の死後文政8(1825)年津藩32万3950石を継ぎ11代藩主となる。天保13(1842)年幕府より伊勢神宮警固を命ぜられたこともあって兵制改革に努め,文久3(1863)年大和での天誅組の乱鎮圧には藩兵を派遣,また元治1(1864)年京都守衛のため兵を送った。高猷は公武合体的佐幕論の考えを持っていたが,鳥羽・伏見の戦で津藩は初め傍観したものの官軍について幕軍を攻撃,さらに戊辰戦争,箱館戦争にも派兵した。明治4(1871)年隠居。<参考文献>杉本嘉八「津藩」(『新編物語藩史』7巻)

(上野秀治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

367日誕生日大事典の解説

藤堂高猷 (とうどうたかゆき)

生年月日:1813年2月9日
江戸時代末期;明治時代の大名
1895年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

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