藤堂高兌(読み)とうどう たかさわ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤堂高兌」の解説

藤堂高兌 とうどう-たかさわ

1781-1825* 江戸時代後期の大名
天明元年4月2日生まれ。藤堂高嶷(たかさと)の子。藤堂高矗(たかなお)の養子となり,寛政2年伊勢(いせ)(三重県)久居(ひさい)藩主藤堂家12代。文化3年宗家の実父の跡をついで津藩主藤堂家10代。倹約奨励,藩校有造館の創設,産業振興などを推しすすめた。文政7年12月18日死去。44歳。

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367日誕生日大事典 「藤堂高兌」の解説

藤堂高兌 (とうどうたかさわ)

生年月日:1781年4月2日
江戸時代後期の大名
1825年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の藤堂高兌の言及

【津藩】より

…伊勢国(三重県)安濃郡津(安濃津)に本城をおいた外様藩。安濃津藩,藤堂藩ともいう。織田信包(のぶかね)が1569年(永禄12)以来津城主であったが,文禄年間(1592‐96)富田氏が移って付近5万石余を支配した。1608年(慶長13)伊予国から転封になった藤堂高虎が伊賀全国および伊勢国安濃郡,一志郡の内に合わせて22万石余の領地を与えられて,本格的な藩政時代となり,藤堂氏は廃藩置県まで津藩主として支配をつづけた。…

※「藤堂高兌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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