朝日日本歴史人物事典 「藤堂高兌」の解説
藤堂高兌
生年:天明1.4.2(1781.4.25)
江戸後期の大名。伊勢国(三重県)津藩の10代藩主。父は高嶷,母は今津氏。江戸生まれ。通称左近,号は鶴堂。寛政2(1790)年支藩久居藩を継ぎ,文化3(1806)年本藩を襲封。和泉守。寛政一揆後,困窮する藩財政を再建するため,倹約に努め藩政の刷新を図る。義倉を設置し,灌漑や開墾の工事をおこない,植林,養蚕を奨励し,藩校有造館を開設するなど,中興の明主といわれた。また伊賀上野には支校崇広堂を建設。江戸で死去。幕藩体制後期の典型的な名君として知られる。<参考文献>『藤堂高兌公略伝』
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報