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藤堂高兌 とうどう たかさわ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤堂高兌 とうどう-たかさわ

1781-1825* 江戸時代後期の大名。
天明元年4月2日生まれ。藤堂高嶷(たかさと)の子。藤堂高矗(たかなお)の養子となり,寛政2年伊勢(いせ)(三重県)久居(ひさい)藩主藤堂家12代。文化3年宗家の実父の跡をついで津藩主藤堂家10代。倹約の奨励,藩校有造館の創設,産業の振興などを推しすすめた。文政7年12月18日死去。44歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤堂高兌

没年:文政7.12.18(1825.2.5)
生年:天明1.4.2(1781.4.25)
江戸後期の大名。伊勢国(三重県)津藩の10代藩主。父は高嶷,母は今津氏。江戸生まれ。通称左近,号は鶴堂。寛政2(1790)年支藩久居藩を継ぎ,文化3(1806)年本藩を襲封。和泉守。寛政一揆後,困窮する藩財政を再建するため,倹約に努め藩政の刷新を図る。義倉を設置し,灌漑や開墾の工事をおこない,植林,養蚕を奨励し,藩校有造館を開設するなど,中興の明主といわれた。また伊賀上野には支校崇広堂を建設。江戸で死去。幕藩体制後期の典型的な名君として知られる。<参考文献>『藤堂高兌公略伝』

(長谷川成一)

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世界大百科事典内の藤堂高兌の言及

【津藩】より

…伊勢国(三重県)安濃郡津(安濃津)に本城をおいた外様藩。安濃津藩,藤堂藩ともいう。織田信包(のぶかね)が1569年(永禄12)以来津城主であったが,文禄年間(1592‐96)富田氏が移って付近5万石余を支配した。1608年(慶長13)伊予国から転封になった藤堂高虎が伊賀全国および伊勢国安濃郡,一志郡の内に合わせて22万石余の領地を与えられて,本格的な藩政時代となり,藤堂氏は廃藩置県まで津藩主として支配をつづけた。…

※「藤堂高兌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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