藤塚鄰(読み)フジツカ チカシ

20世紀日本人名事典 「藤塚鄰」の解説

藤塚 鄰
フジツカ チカシ

明治〜昭和期の中国哲学者 大東文化学院専門学校総長。



生年
明治12(1879)年6月

没年
昭和23(1948)年12月24日

出生地
岩手県前沢町

旧姓(旧名)
佐々木

別名
号=素軒

学歴〔年〕
東京帝大文科大学支那哲学科〔明治41年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和11年〕

経歴
大学院に1年在学、明治42年第八高等学校教授となり、大正10年中国留学。15年京城帝大教授、昭和6年法文学部長となったが病気で辞任。13年御講書始漢書進講、15年名誉教授となり大東文化学院教授、23年斯文会理事長、大東文化学院専門学校総長となった。著書に「日鮮清の文化交流」「清朝文化東伝の研究」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤塚鄰」の解説

藤塚鄰 ふじつか-ちかし

1879-1948 明治-昭和時代の中国哲学者。
明治12年6月生まれ。八高教授をへて,京城帝大教授,大東文化学院専門学校総長。中国の清(しん)代にさかんだった経学(けいがく)(儒学経典の考証学)について研究し,その日本,朝鮮への伝播(でんぱ)の過程をあきらかにした。昭和23年12月24日死去。70歳。岩手県出身。東京帝大卒。旧姓は佐々木。号は素軒。著作に「日鮮清の文化交流」「論語総説」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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