藤山 常一
フジヤマ ツネイチ
明治・大正期の技術者 石炭窒素開発者。
- 生年
- 明治4年1月(1871年)
- 没年
- 昭和11(1936)年1月4日
- 出生地
- 佐賀県
- 学歴〔年〕
- 東京帝大工科大学電気工学科卒
- 学位〔年〕
- 工学博士
- 経歴
- 明治35年仙台で野口遵とカーバイド製造を着手。のち日本窒素肥料の設立に参加、当時としては世界的に見ても画期的な連続窒素の製造・企業化に尽力。45年退社し、三井の援助で石灰窒素の製造法に再度携わる。大正4年電気化学工業を設立し常務、8年専務に就任し事業を推進したが、昭和2年経営悪化の責任をとる形で退社。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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藤山常一 ふじやま-つねいち
1871-1936 明治-大正時代の技術者,実業家。
明治4年1月生まれ。田中不二の兄。仙台で野口遵(したがう)とカーバイド製造に着手。のち日本窒素肥料をへて,大正4年電気化学工業を設立し,8年専務。石灰窒素の製造法を開発した。昭和11年1月4日死去。66歳。佐賀県出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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