日本歴史地名大系 「藤懸村」の解説 藤懸村ふじかけむら 石川県:羽咋郡富来町藤懸村現富来町北西部海岸の西海(さいかい)および西浦(にしうら)地区に比定され、風無万福(かざなしまんぷく)寺所蔵の天文一三年(一五四四)銘の阿弥陀如来絵像に「藤掛郷風成」とある。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に「藤懸村 四町壱段 建保弐年立券状」とあり、平安時代末期に富来院より分立したと考えられ、公田は一五町あったが、四町一段に減っている。建保二年(一二一四)に庄園として立券されたが領有関係は不明。永享五年(一四三三)七月四日、将軍足利義教は「能登国藤懸郷」などを京都南禅寺悟心院に安堵しているが(尊経閣古文書纂)、背景には守護方の押領という事態があったと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by