藤森神社跡(読み)ふじのもりじんじやあと

日本歴史地名大系 「藤森神社跡」の解説

藤森神社跡
ふじのもりじんじやあと

[現在地名]豊能町切畑

大円おおまる集落藤の森ふじのもりにあったが、明治四〇年(一九〇七)木代の走落きしろのはしりおち神社(旧小玉神社)に合祀された。旧村社。「延喜式」神名帳の島下しましも郡一七座のうちに記される「ハシリ オチノ神社鍬靫」に比定される。社伝によれば、寛平元年(八八九)に創建され、祭神は邇邇芸命のみであったが、のち相殿神として天照皇大神と少彦名命を祀った。大円・切畑きりはた・木代の産土神であったが、文永三年(一二六六)相殿の天照皇大神は木代に分祀されて小玉こだま神社、同少彦名命は切畑の中野東なかのひがしに分祀されて走湯はしりゆ神社となったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む