藤森良蔵(読み)フジモリ リョウゾウ

20世紀日本人名事典 「藤森良蔵」の解説

藤森 良蔵
フジモリ リョウゾウ

明治〜昭和期の数学教育者



生年
明治15(1882)年7月

没年
昭和21(1946)年11月22日

出生地
長野県上諏訪

学歴〔年〕
東京物理学校〔明治36年〕卒

経歴
長野商業学校に数学教師として赴任。その後上京、考へ方社という参考書出版社を設立、明治43年「幾何学学び方考へ方と解き方」を刊行、“考え方主義”を世に問い、受験界に新風注入続刊代数学の姉妹参考書とともにベストセラーとなった。大正3年日土講習会を開設、予備校の先駆となり、6年雑誌「考へ方」を創刊、“受験の神様”といわれた。高等数学の大衆化にも熱意傾注、昭和4年林鶴一博士を迎えて第1次日土大学講習会を開き、9年第7次講習会には数学界の権威高木貞次郎博士を迎えるなどした。11年「高数研究」を創刊、大学数学解放を訴えた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤森良蔵」の解説

藤森良蔵 ふじもり-りょうぞう

1882-1946 明治-昭和時代の教育者。
明治15年7月生まれ。藤森省吾(せいご)の兄。長野師範を退学させられ,東京物理学校(現東京理大)にまなぶ。卒業後,保科百助(ほしな-ひゃくすけ)の私塾保科塾などでおしえる。明治43年「代数学学ビ方,考ヘ方ト解キ方」を刊行。大正6年「考へ方」を創刊,主宰し,数学的思考普及につとめた。昭和21年11月22日死去。65歳。長野県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤森良蔵の言及

【受験雑誌】より

…前者の普及につれ後者の不備を補完するために現れたのが受験参考書であり,続いて受験雑誌が現れた。最初の受験雑誌は藤森良蔵と塚本哲三による《考へ方》(1917)である。創刊号は3万部,青野文魁堂と山海堂が出資して,無料で配布された。…

【受験参考書】より

…こうして,受験参考書がその形をととのえたのは1910年前後のこととみてよい。当時の代表的な受験参考書として,藤森良蔵《幾何学・考へ方と解き方》(青野文魁堂,1910),南日恒太郎《英文和訳法》(有朋堂,1914),塚本哲三《国文解釈法》(有朋堂,1916)をあげることができる。これらは当時のベストセラーになっただけでなく,何回も改訂されて,第2次大戦後の学制改革までロングセラーとして続き,受験生に大きな影響を与えた。…

※「藤森良蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android